【武藤敬司の軌跡(10)】俺は遠征した米フロリダでのびのびやっていたんだけど、帰国の時はすぐに迫ってきた。1985年11月に渡米した当初は「半年」の約束だったから。でも最初に期限が近づいてきた時、坂口(征二)さんに「もう少しいさせてください」って手紙を書いて滞在期間を延長してもらったんだよ。ちょうど、現地に彼女もできたしね。
そうしたらしばらくして返事が来たんだ。全日本プロレスで大相撲元横綱の輪島大士さんが「9月ごろにデビューする」と。それにぶつけるから、そのタイミングまでは「フロリダにいていいよ」ってなったんだ。滞在は延長になったけど、それでも帰る時はつらかったよ。現地には彼女もいたし、そこそこ仕事ももらってたしね。
そういえばフロリダにいるころ、ジムでウエートトレーニングをよくやっていたよ。ほかにやることがないから。最初は自己流だったんだけど、(米プロフットボールNFL出身の)レックス・ルガーとかマッチョなレスラーに筋力トレーニングの方法を少しずつ教わっていたんだ。俺は当時、ルガーとか(同NFL出身の)ロン・シモンズとかにプロレスを教えていたから。その代わりにっていうことでね。
当時の日本のプロレス界は非合理な練習が多かったと思う。ヒンズースクワット1000回とか2000回とか。しかも体格関係なく誰でも同じ回数をやっていて。その点、米国は合理主義で良かった。筋肉って「速筋」と「遅筋」っていうのがあって。例えばヒンズースクワットを一生懸命やったとしても(鍛えられる)遅筋で大きくならねえんだよ。マラソン選手と一緒だから。
そういう筋肉ももちろん最低限必要なんだけど、やっぱりプロレスは見た目も重視しなきゃならない。その中でボディービルダーじゃないけど、筋肉は太い方がいいわけだ。で、大きくなるのは速筋なんだよ。それには、軽い負荷で回数をこなすんじゃなくて重い負荷を少ない回数でやった方がいい。ヒンズースクワットなんて、見た目はほとんど変わらないから。そういう知識を、この時に学べたのはすごく良かったと思うよ。
そういう米国流の合理的な考え方とか、彼女の存在とか、タンパという街の雰囲気もあって帰国する時は本当に後ろ髪をひかれる思いだった。それに「帰っても何をどうすればいいのか」っていう不安もあったし、その時は常に悩んでたと思うよ。もちろん会社(新日本プロレス)も俺のためにいろいろと考えてくれていたんだけどね。
気持ちは期待半分、不安半分ってところだった。そして帰国した俺を待っていたのは…。













