【武藤敬司の軌跡(8)】デビュー戦(1984年10月5日、埼玉・越谷市立体育館)の相手は同期の蝶野正洋だった。木村健悟さんがセコンドについてくれてね。俺が9月ごろから木村さんの付け人をしていたから。実は立候補したんだ。理由? 優しかったからだよ。ちなみに木村さんは坂口征二さんと仲がよくて、このころから巡業とか3人で食事に行くことも多くなっていた。

 そんなわけで木村さんがセコンドについてくれたデビュー戦だけど、記憶は全くない。緊張したかさえ覚えてない。無我夢中だったから。そういう意味では昨年、フワちゃんのプロレスデビュー戦(※1)をたまたまテレビで見たけど、あれは素晴らしいよ。いっちょ前のタイトルマッチもできるような戦いだよ。俺なんか何も教わらない、何も分からない状態のデビューだったからね。

 それでも逆エビ固めで勝ってその後もしばらくは勝ってたんだよ。金秀洪とかロッキー・イヤウケアとかにも勝ってたからね。その後はもちろん、先輩方とやると負けちゃうんだけど。

逆エビ固めで蝶野(下)とのデビュー戦に勝利した武藤敬司(84年4月)
逆エビ固めで蝶野(下)とのデビュー戦に勝利した武藤敬司(84年4月)

 その中で生まれたのがムーンサルトプレス(月面水爆)だった。最初はタッグマッチ(※2)で事前の練習はしていないし、一発勝負だよ。でも「できるよな」「いつかやってやろう」と思っていた。子供のころから田んぼでバック宙の練習をしていたから高いところからならできるって。フラットなところでやる方が難しいじゃん。高いところならなんてことない。恐怖心なんてないよ(笑い)。ただ、打ちどころが悪い時は痛かったな。ダメージがきたりもした。

 今考えれば、先輩方が離脱していなかったらデビューして早々に月面水爆なんてできなかったかもしれない。それに1年先輩のライガーが体が小さいからって派手な技ばっかりやってたんだ。つまりライガーが先輩方を教育していたというか(笑い)。当時も「ライガーがやるなら…」って思っていたね。

 フォームへのこだわり? わかんないけど、技って全部そういうものでしょ。ヘッドロックもアームロックも、何にしたって美しい方がいい。月面水爆だって同じだよ。その辺は職人(造園業)気質の父親の影響もあるだろうし、柔道の佐野一正先生の影響もあると思う。きれいな柔道をする人で「奥襟なんか持つな」と言われたし「投げられてもいいから姿勢を正せ」っていう先生だった。

 そして、この月面水爆が、フロリダ遠征でも俺を助けてくれることになるんだけど…。

※1 超人気ユーチューバーのフワちゃんは2022年10月23日の女子プロレス「スターダム」立川大会でデビュー
※2 1985年3月1日の後楽園ホール大会で後藤達俊と組んでブラック・キャット、金秀洪組と対戦

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