【武藤敬司の軌跡(5)】東北柔道専門学校(現仙台接骨医療専門学校)を1983年に卒業した後、俺は山梨に戻って佐野接骨院にインターンとして就職した。でも働いたのは半年くらいだったよ。実際はインターンした途端に柔道もほとんどやれなくなってさ。たまに子供に教えるだけで汗をかかなくなってストレスがすげえたまって。学校でも優秀じゃなくて全然、自信もねえのに診察して治療しなきゃいけないストレスもあった。

 で、だ。実はこのころ、プロレス界が急にすごく身近になったんだ。専門学校の1年先輩、長谷地貢っていう人が、世田谷区経堂の菅谷接骨院で働いていたんだよ。そこの院長の菅谷喜三郎先生が新日本プロレスと公私で親交があって、選手がケガをしたら、菅谷接骨院に行ったりしていた。それで長谷地先輩に相談して菅谷先生に紹介してもらったんだ。

 おかげで入門テストを受けさせてもらえることになって、道場に行ったんだよ。そこでスクワットしたり練習したりして合格をもらって次に面接だ。当時、南青山にあった事務所に行って坂口(征二)さんと山本小鉄さんに面接を受けた。

 面接の内容? もう覚えてねえよ(笑い)。だけど「これはヤバい世界に来てしまったな」って少し後悔したのは覚えてるよ。だって坂口さんみたいな人いないじゃん! 山梨にあんなデカい人いねえよ。まず、指がすげえ太いから。1本の指が普通の人の2本分くらいあって「なんだこの人」って思った。山本さんも髪の毛がなくて、いかつくてゴツかったから、初めて見た時のインパクトはすさまじかったよ。

坂口征二(右)から指導を受ける武藤(1986年)
坂口征二(右)から指導を受ける武藤(1986年)

 話は少しそれるけどさ、坂口さんって1000年後とかに骨で見つかったら「なんだこの生き物は」って驚かれると思うよ、多分。デブとかじゃねえんだよ。骨格が、全部デケえんだよ。均整がとれたデカさ。だからゴルフでも坂口さんが前で回っていたら遠近感が狂って20ヤードくらい間違えるんだよ。前に立たれると距離感が分からなくなるんだ。本当だって!

 でも、初めて会った時は「この人が日本一の坂口さんか…」って少し感動もしたなあ。柔道をやっていたから。佐野接骨院にも明治大の人がいたりして、そういう人からウワサは聞いていて。

 そういえば、面接も合格して入門が決まった後、俺のいとこが東京の専門学校に行ったんだ。そしたら同級生に「同じ学校の蝶野正洋ってやつが新日本のレスラーになる」と言われたって聞いてね。だから蝶野のことは入る前から間接的に知っていて、初めて会った時に「こいつが蝶野か」って思ったんだよ。

 そして1984年4月に入門して、ついにプロレスというゴールのないマラソンをスタートしたんだけど…。

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【武藤敬司の軌跡(3)】1975年に地元山梨の下吉田中学に入って野球は2日で辞めたよ...

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