【武藤敬司の軌跡(9)】新日本プロレスで無事にデビューも果たし、ムーンサルトプレス(月面水爆)という必殺技も手にした俺は1985年11月から米フロリダに遠征することになった。

 まあ、夢はあったよ。米国っていうワードに夢があった。そのころ、同期の蝶野(正洋)とかと遊びに行った六本木にはモデルみたいにきれいな外国人がいっぱいいたよ。だから「フロリダにはいい女がたくさんいるんだろうな」ってね。実際は橋本(真也)よりでかいやつばっかりでガクッと来たよ(笑い)。

 フロリダって今は観光地になって人が集まってるけど、当時は田舎でね。タンパなんてだだっ広いだけで山梨より田舎だった。日本食レストランも2軒くらいしかなくて、日本人なんていなかった。まだ野球チームもなかったよ。

武藤(手前)は米国でロッキー・イヤウケアと共同生活(86年2月)
武藤(手前)は米国でロッキー・イヤウケアと共同生活(86年2月)

 だけど開放感はあって、タンパという街にはほれた。水が合ったというかね。多くの米国人レスラーも転々とした末に最後はみんなタンパに居住するんだよ。ハルク・ホーガンしかり、ザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)も、ロードウォリアーズ(ホーク&アニマル)も。なんかあるんだろうな。たまにハリケーンがくるけど。

 プロレス的にも良かったよ。年功序列がない上、当時は大型の選手ばっかりだから、月面水爆なんてできるやつはいなくて重宝がられた。実際、行ってすぐベルトにも挑戦して、その後フロリダ地区のタイトルとかジュニアヘビー級のベルトも取れたからね。

 お客も全然違った。俺がデビューしたころの新日本なんか、新型コロナ禍でやっていたプロレスと一緒だったよ。静かでシーンとしててさ。みんな真剣に、固唾をのんで見守ってるって感じだった。“盛り上がる”っていう習慣がなかったんじゃないかな。「何してんだ!」みたいなヤジみたいのはあったけど。

 それが向こうは始まってすぐに拍手をして「ウワー!!」って盛り上がるんだもん。やりやすいよ。米国のお客の喜ばせ方? 普通にやってれば学べることだよ。そうだな…。一番最初にそういうエクスタシーを感じたのは、桜田一男さん(ケンドー・ナガサキ)がワフー・マクダニエルとメインイベントで試合をした時だった。ワフーがやられているところに乱入し、助けるふりしてバーンって蹴ったんだ。それまでベビーフェースだった俺がやったから、その時のお客の怒りようは半端じゃなかったな。

 いろんな物が飛んできたけど、それが“お客を怒らせる”っていうエクスタシーを初めて感じた時だった。そこからヒールとして桜田さんとタッグでやっていくんだけど、同時に遠征の期限も徐々に迫っていた。

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