【武藤敬司の軌跡(20)】グレート・ムタがリング上で暴れている一方で、武藤敬司のプライベートが充実していたよ。1992年10月に蝶野(正洋)の中学時代の同級生(久恵さん)を紹介してもらって結婚したんだ。香港で婚約発表して、東スポが1面に載せてくれてね。その新聞は今でも大事に取ってあるよ。
もともと結婚願望はあったんだ。海外生活が長かったからさ。米国って、特にクリスマスのシーズンとか家庭をすごく大切にする雰囲気があるんだよ。出稼ぎに来ているレスラーも家に帰っちゃうしな。俺は独りぼっちだったからさ、うらやましく感じたんだよ。
冬場にヘトヘトになって巡業から帰って寒い中、明かりをつけてっていうのが寂しくて人恋しくなったんだ。新日本からは止められたよ。俺は女の子のファンが多かったから。だけど押し切った。婚約発表は香港でのファンクラブツアー初日。その場で泣き崩れたファンがいたって? いいじゃん、そういうのも。だからこそ、今もこうして語れるんだしね。
話をリングに戻すと、ムタがどんどん上がっていった。94年5月には福岡ドームで(アントニオ)猪木さんと「ファイナルカウントダウン」初戦で戦うことになった。
指名された理由? 猪木さんに褒められたことはねえけど(86年の凱旋後の)スペース・ローン・ウルフ(※)の時から地方のタッグ戦とかは猪木さんの隣にいることが多くてさ。世代闘争でも若手なのに猪木さん側の「ナウリーダー」に入れられたし、重宝がられていたというか、信頼があったんじゃないか。ムタだったのは、純粋に武藤敬司よりも商品価値があったからだよ、多分。まだ武藤はベルトも巻いてなかったしな。
ムタっていうのは、猪木さんのつくり上げてきた「ストロングスタイル」の中で唯一、潰されずに生き残ったギミックレスラーというかね。だからある意味、やる前から猪木さんの顔を緑にした時点でムタの勝ちだと思っていた。試合の評価が高い? 俺はわからないけど、プロレスって見る人が思うことだから。どう感じ取るかで、十人十色の見方があるわけだ。
ただ…、この試合に関しては「ムタが猪木さんを食っちまったんじゃねえか」とか「猪木さんが怒っていた」とか聞くよ。でもムタにとってはただの通過点だよ。その後もずっとやるわけだしさ。ただ、猪木さん糖尿病だったじゃん? だから出血が止まらなくて。知ってて切った? 多分そうだよ。ひどいよな、ムタは…。でも俺が悪いわけじゃない。悪いのはムタだから(笑い)。
そして、この後、先を走っていたムタに武藤敬司が追いつくことになる。高田延彦戦だ。
※ 武藤が凱旋帰国した時のキャッチフレーズ













