【武藤敬司の軌跡(18)】 WCWを離れた俺は日本に戻ることになり、1990年4月27日の東京ベイNKホール大会で凱旋試合を戦った。蝶野正洋と組んで橋本真也&マサ斎藤さんのIWGPタッグ王座に挑戦。凱旋試合でいきなりタイトルマッチだよ。しかも勝っていきなりチャンピオンだから。お客の反応は、まあ良かったよ。
当時は、やっぱりUWF(※)の名残があって新日本のリングのムードはどこか暗かったな。そこにオレンジ色のパンツをはいた俺がとんぼ返りでリングインし、コーナーに上がって着ていたTシャツを投げてさ。当時は、そんなパフォーマンスをやるレスラーはいなかったけど、思ったより受け入れてもらってね。そろそろお客もそういう明るい方向を求めていたのかもしれない。そこにうまくハマったよ。
最初にパフォーマンスやる時の勇気? っていうか、米国で学んできたことしかねえじゃん、当時の俺には。凱旋帰国だから、みんなと何か違ったことをしないと。若手のころと、どう変わったかを見せないと。特に俺なんか2回目の凱旋だから必死だったよ。
それからはほかのレスラーもパフォーマンスをやるようになってね。俺みたいなコーナーに上がってとか、本来なら(アントニオ)猪木さんは大っ嫌いなんだけどさ。いつの間にか、みんなやるようになっちまったからな。それでも試合中は、お客にゴマをするようなことは絶対にしなかったよ。対戦相手しか見ていなかった。お客なんか見てたら怒られるからさ。
そういえば、この試合で闘魂三銃士がそろい踏みしたわけか…。このころから少しずつ脚光を浴び始めるよね。それまで活動は何もしてないようなものだから。88年7月に1回、有明コロシアムで組んだだけ。少し先の話だけど、91年に始まった夏のG1クライマックスも第1回から三銃士で上位を占めて蝶野が優勝することで「もしかしたら時代が変わるんじゃないか」って期待感みたいなのが出てきたよな。
凱旋直後に話を戻すと、90年5月には長州(力)さんとの初シングルもあった。その試合はすごい覚えてるんだよ。めちゃくちゃバテたからさ。よくよく考えたら、長州さんがリングの真ん中にいて、俺はずっと動かされていた。だからバテたんだ。ずっと走らされてさ。いまだに長州さんは俺とは「タイミングが合わねえ」って言うよ。あの人、基本プロレスがせっかちだからなあ…。
そして、この年の9月にはグレート・ムタが日本で初登場することになるんだけど、これもまた大変で…。
※ 新日本を契約解除された前田日明が第2次UWFを旗揚げし、藤原ら選手が離脱














