【昭和~平成スター列伝】“邪道”大仁田厚は12日の新潟プロレス万代島大会で「電流爆破バット4本有刺鉄線バリケードボードメガトン電流爆破6人デスマッチ」を敢行し、何と81歳の史上最高齢現役レスラーのグレート小鹿を初めて電流爆破のマットに引きずり込んだ。老人、いや大先輩をいたわるかと思いきや、電流爆破バットでフルスイング。戦闘不能に追い込み、毒霧まで噴射した(ひどい話だ…)。
それでも極道は大奮闘。自軍は敗れたが三途の川を渡ることもなく「死ぬ覚悟でリングに上がったが、また試合を続けていこうという勇気が湧いてきた。大仁田には感謝したい」と泣かせるセリフを吐くと、邪道と極道はガッチリ抱擁。涙なしでは見られない光景だった。81歳で電流爆破のリングに身を投じた小鹿はもちろん、その場を用意した大仁田もまさに「本物のプロレスラー」だった。
過去、大仁田は天龍源一郎、グレート・ムタ、長州力、髙山善廣、曙、長与千種、鷹木信悟、青木真也など絶対に不可能と思われた大物を電流爆破のリングに引きずり上げた。これはもう一種の才能で、最終的に自分の土俵に上げる能力は天才的であり、電流爆破という試合形式もマット史に残る“大発明”だった。
邪道を極めてなおかつ快進撃を続ける大仁田だが、若き日は全日本プロレスで“王道”のど真ん中を歩いていた。1974年にデビューすると渕、薗田とともに「若手三羽烏」と呼ばれ、ジャイアント馬場にもかわいがられた。80年に海外遠征へ出発すると、プエルトリコから米国をサーキットし、82年3月7日にはノースカロライナ州シャーロットで、チャボ・ゲレロからNWAインターナショナルジュニアヘビー級王座を奪取する大殊勲を挙げた。本紙はこの快挙の詳細を報じている。
『「大仁田、ゲレロを叩き潰せ!」。セコンドのテリー・ファンクの大声が飛んだ。タイトル初挑戦の大仁田はコチコチだ。だが御大馬場譲りのネックブリーカードロップで反撃すると、本来の動きを取り戻してきた。ドロップキック、エルボードロップというゲレロの反撃はスピニングトーホールドで返す。ジュニアヘビーらしいスピードある攻防が展開される。王者のゲレロは場外へ人間ロケット。しかし決定打とはならず両者リングへ。大仁田はコーナーポストに激突して額から出血している。血で目が見えない大仁田はブレーンバスター。しかしゲレロは高々と抱え上げてのエアプレーンスピン。大仁田が肩の上で暴れると王者は前のめりに倒れた。すかさず大仁田が最後の力を絞り切って回転エビ固め。3カウントが入って新王者誕生だ。跳び上がって喜ぶ大仁田。目には涙だ。「もう何を言っていいか…。プロレスをやっていて本当によかった」と大仁田は涙にむせんだ』(抜粋)
当時から涙もろかった大仁田だけに「血涙回転エビ固めチャボ粉砕」の見出しが目を引く。4月11日にサングレ・チカナに王座を奪われるも、同30日に王座を奪還。5月シリーズに凱旋帰国を果たし、新日本プロレスのタイガーマスクに対抗するジュニアのスターとして、チャボと一大抗争を展開。一気に大出世を遂げる。
しかし83年4月20日にヘクター・ゲレロとの防衛戦勝利後、リングから飛び降りた際に左膝蓋骨粉砕骨折の重傷を負って王座返上。その後復帰するもこのケガが原因となり、85年1月に引退した。
だが邪道の本当のサクセスストーリーは、様々な苦労を経て89年に旗揚げしたFMWからだろう。メジャーに対抗すべく様々なアイデアで「インディの先駆け」となり日本全国で爆発ブームを呼んだ。そこからの活躍は説明の必要はないだろう。合計7度の引退↓復活を繰り返したが、まだまだマット界に爆弾を投下してほしい。 (敬称略)













