【昭和~平成スター列伝】“怒涛の怪力”と呼ばれ国際プロレスのエースとして一時代を築き上げた名レスラー、故ストロング小林さん(享年81)が2021年12月31日に亡くなってから、今年で2回目の命日を迎える。お断りするまでもなく“燃える闘魂”アントニオ猪木のNWF世界ヘビー級王座に挑んだ一戦(1974年3月19日、蔵前国技館)は“昭和の巌流島”と呼ばれ、日本プロレス史上屈指の名勝負として語り継がれている。

ミラーのアームバーに耐える小林
ミラーのアームバーに耐える小林

 そんな小林の偉業をたたえて故郷の青梅市・西友河辺店4階の市民ホールで「ストロング小林展」(入場無料)が12月15日から19日まで開催される。遺族の協力を得て、地元の英雄が全盛期に使ったコスチューム、愛用品、多数の写真が展示され、米国遠征時に“人間発電所”WWWF(現WWE)世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノに挑んだ際のコスチュームなども公開される。昭和のプロレスファンはぜひ足を運んではどうだろうか。

 小林がサンマルチノに挑んだ一戦は、ちょうど2年前にこの欄で取り上げたので、今回は後に国際プロレスと小林の看板となったIWA世界ヘビー級王座について記したい。

 67年7月にデビューした小林は68年10月に欧州へ初遠征。同年以来、海外と国内シリーズの両輪でフル回転し、69年5月パリでは豊登とのコンビで初代IWA世界タッグ王座決定トーナメントを制して初戴冠。国際にIWA王座を初めてもたらした。その後も数々の王座を獲得して71年6月19日には米ミネソタでビル・ミラーからIWA世界ヘビー級王座を奪取。以降は長く小林の代名詞ともなった。

 72年7月19日板橋区体育館ではミラーとのリマッチが行われ、小林が堂々13度目の防衛に成功している。本紙は1面で詳細を報じている。

『王座奪還を目指すミラーは1本目に45秒、ネックハンギングを爆発させて先制。2本目は小林が場外乱闘で血まみれになりながらイスを叩きつけて失神させてのカウントアウト勝ちでタイ(20分27秒)。決勝ラウンドはお互いにイスを振り回して大乱闘。小林はかきむしりからストンピング。ミラーがはがしたコーナーポストの露出した金具にミラーを激突させる。フラフラになったミラーに今度はレッグロックと王者の意地を見せる猛攻。コーナーに詰めて体当たり5連打からリング中央で切り札の逆エビ固め。ガッチリと決まった必殺技にさすがのミラーもギブアップ。小林が防衛に成功した(6分1秒)。小林は「綱渡り防衛だったが、負ける気はしなかった。スタミナでは私のほうが勝っているので、ミラーは短期決戦を狙ってきたのだろう」と胸を張った』(抜粋)

 無類の強さだった。小林はその後も防衛を重ねて当時最高となる25回連続防衛を記録。73年11月9日和歌山でワフー・マクダニエルに記録をストップされたが、それでも5日後の11月14日後楽園でのリマッチで王座奪還に成功した。

 だが小林は2回の防衛後、国際退団のため2月に王座を返上。猪木との一戦へ向かう。小林のすごかったところは猪木との一戦に敗れた後も米国に戦場を求めて、サンマルチノに挑戦。その後に猪木との再戦(74年12月)を実現させた。新日本に入団後の70年代後半も積極的に海外遠征に出た。“孤高の人”とも称された希代の名レスラーにとっては、海外で自由に暴れるほうが充実感があったのかもしれない。(敬称略)