“魔界の住人”グレート・ムタがノア10月23日の東京・新宿フェイス大会に降臨した。日本マットは1月のラストマッチ以来で、現世に姿を現したのは4月2日の米WWEの祭典「レッスルマニア39」で名誉殿堂「ホール・オブ・フェイム」入りを紹介されたことが最後となっている。ムタは大会アンバサダーを務めた「ファンキー・モンキー・ベイビーズ」のファンキー加藤に毒霧を噴射。スプレー缶を取り出すと、マットに「娘」と思われる文字を書き残してリングを後にした。

デュランに十八番のトラースキックを浴びせるカブキ。一撃必殺の技だった
デュランに十八番のトラースキックを浴びせるカブキ。一撃必殺の技だった

「娘」とはどういう意味なのか、謎が謎を呼んでいるが、これが「父」なら答えは一発で出る。“東洋の神秘”ことザ・グレート・カブキだ。ムタは1989年、プエルトリコから米国に上陸した際に「ザ・グレート・カブキの息子」として売り出したからだ。カブキはペイントレスラーの草分け的存在で、1980年代に全米で爆発的な人気を呼んでいた。まさにムタの「父」と呼ぶにふさわしい存在だった。

 カブキの正体である高千穂明久は日本プロレス、全日本プロレスを経て73年に渡米。素顔で全米を転戦していたが、81年にテキサスでマネジャーのゲーリー・ハートのアイデアで日本の歌舞伎役者をモチーフとしたザ・グレート・カブキに変身した。

 コスチュームは般若の面に連獅子姿や鎖帷子に日本刀を携えた忍者スタイル。ヌンチャクを振り回し毒霧を吹く異形の東洋人は米国人にとっては衝撃で、ヒールながら全米各地で大人気を呼んだ。アンドレ・ザ・ジャイアント、ブルーザー・ブロディ、ハーリー・レイス、ダスティ・ローデス、リック・フレアーらスーパースターとも戦い、各地区で数多くの王座を獲得した。

カブキといえば毒霧。馬場さんが見守るなか…
カブキといえば毒霧。馬場さんが見守るなか…

 そのカブキが凱旋帰国を果たしたのが83年2月11日後楽園大会のジム・デュラン戦。本紙は1面で詳細を報じている。

『会場が暗くなると闇の中に鼓の音が小気味よく流れたが、それは「カブキ!カブキ!」の大コールに消された。黒、緑の般若ペイントの顔を忍者マスクで隠し、黒の空手着、袴、地下たび姿のカブキがリングに立った。アメリカのリングのカブキがそのままいる。いっせいに電灯が灯ると、カブキの口からグリーンの霧が吹かれる。相手を威嚇する毒霧だ。機先を制したカブキはヌンチャクをビュンビュン振り回す。デュランは一歩も動けない。カブキのクローがするすると顔面を襲い、手刀、パンチ、延髄斬りと独壇場だ。さらには左アッパーカット2発をアゴに叩き込んで、コーナーで待ち構えるとカブキ・トラースキックがノド元にヒット。カブキはロープ2段目から地獄突き。デュランはピクリとも動けなくなった』(抜粋)

 独壇場だった。このシリーズはジャイアント馬場が欠場したが「カブキブーム」で全国どこでも超満員。当時の関係者によると馬場が嫉妬するするほどの人気で、興行収入も大幅にアップした。同年12月にはリック・フレアーのNWA世界ヘビー級王座に挑むなど、全日本の主役の一人へと一気に飛躍した。

 その後、再度渡米すると90年に全日本を退団してSWSへ。新日本にも参戦し平成維震軍の一員として活躍し、93年5月大阪ではムタとの「親子対決」が実現し、6月武道館でも親子対決となるIWGPヘビー級王座戦が実現した。98年8月大阪ドームではムタの「親子タッグ」で大歓声を浴びた。同年に一度、引退するも、その後も機を見てマットに上がり続けた。カブキからムタに継承された邪悪の魂は誰が継承するのか、日本プロレス界の“伝統の灯”だけは残ってほしい。(敬称略)