ノアの元GHCヘビー級王者・中嶋勝彦が1日に電撃退団し、フリーに転向した。数々の王座を獲得して健介オフィス(ダイヤモンドリング=DR)時代を含めると、約15年もノアマットを支えた“蹴撃戦士”の電撃退団はマット界に大きな波紋を呼んだ。
「悩みぬいた結果、自分を磨きレベルアップするため」と退団理由を説明した中嶋は、本紙のインタビューに対し「ノアでは見られない、感じることができない景色を見たい」と語り、新たな戦場に向けて早くも思いをはせている。
2004年1月5日のWJ後楽園大会で男子プロレスラーでは史上最年少となる15歳9か月でデビュー。同年4月からは佐々木健介率いる健介オフィス(DR)所属となり「健介一家の長男」と呼ばれながら、健介を慕い続け常に行動をともにした。師匠であり「父」でもあった健介からは退団に際し「頑張れよ、ケガするなよ」とエールを送られたという。
その健介をついに超えた試合(14年2月11日、DR後楽園大会)は中嶋にとって大きな転機となった。初めて弟子に負けた健介は、その場で潔く突然に引退を発表するという大サプライズが起きたからだ。
『健介はこの日のメインで愛弟子の中嶋勝彦と7年ぶり2度目の一騎打ちで対戦。激闘の末、原爆固めで初めて3カウントを許した。試合後のリング上で健介は中嶋の成長をたたえた上で「皆さん、この28年間、佐々木健介を応援してくれてありがとうございました」とあいさつ。引退とも受け取れる発言にファンや関係者は驚きを隠せなかった。発言の真意を確かめるために本紙は駐車場で健介を直撃。「俺の気持ちは今、(控室で)会社に伝えたから。思い残すことはないよ。引退の決意は変わらない? 俺はね」と健介は笑顔を見せた』(抜粋)
勝った中嶋についてはひと言も触れられておらず、ただぼうぜんとリング上に立ち尽くす写真が印象的だ。場内や関係者がただただ仰天するのみだった。2日後の13日に健介は会見を行い、正式に引退を表明。中嶋の言葉が紙面に掲載されたのは3日後の14日だった。
「いろいろ複雑な思いはあるけど(「負けてうれしい」)と言ってもらったのは光栄なこと。身が引き締まるし、その思いを受け止めてプロレス道を全うしたい。ダイヤモンドリングのエースは俺なんで」と誓いを新たにしている。
記者は数年前に雑談でこの時の思いを改めて聞いたが、中嶋は「乗り越える壁があるだけ幸せだった。でも(02年の)入門から12年かけて大きな壁を乗り越えた瞬間にその壁がなくなってしまった。あの時の潔い佐々木さんは最高に格好よかった。思い出すたびに体が震える。だけど次の瞬間から頭の中も目の前も真っ白になった」と感動より驚きのほうが大きかったと告白している。
歓喜とショックを同時に味わった中嶋はレスラーとして一気に成長。15年にフリーとなり、16年からはノア所属となった。そこからの活躍は改めて説明するまでもないだろう。
今後、どの団体を新たな戦場を選ぶかは未定だが、21日の全日本後楽園大会では3冠戦後に敗れた宮原健斗を襲撃した。28日の福岡国際センターでは、潮崎豪との名コンビ「AXIZ」で、数々の激闘を展開した生え抜きの2人、丸藤正道、杉浦貴組とノアでのラストマッチを控える。まだ35歳。中嶋の新天地での活躍に期待したい。(敬称略)













