【昭和~平成スター列伝】新日本プロレスの新社長・棚橋弘至は4日の東京ドーム大会で、NJPW WORLD認定TV王者ザック・セイバーJr.を撃破して第2代王者に輝いた。社長就任後、初のドーム大会でさっそく輝きを放った棚橋は「レスラー棚橋は世界を目指す、G1優勝を目指す、選手としての高みをもう一度見る。社長としてコロナ禍以前の熱狂を目指す」と堂々宣言した。

 棚橋は昨年12月23日、第11代社長に就任したことが発表された。ここ数年のプロレス界ではレスラーが社長を務めるケースが激減し、経営は“背広組”に任せるのが主流となっていた。選手兼社長は初代から3代目社長までの故アントニオ猪木さん、坂口征二氏、藤波辰爾に続く史上4人目。藤波が退任した2004年6月以来、実に19年半ぶりの誕生となった。

 木谷高明オーナーは「一番苦しい時期に体を張って頑張っていただいたのは大きなポイント。今の時期は明るく広がるような性格の方にやっていただいた方がいいんじゃないかと。苦労をいとわない、明るい、頭脳明晰。資質としては十分だと思います」と期待を寄せた。

 確かに棚橋は新日本にとって00年代最大の功労者でもある。00年代初頭からの低迷期を中邑真輔とともに支え、一時はどん底にまで落ち込んだ団体を再建へ導き、エースとして現在の繁栄を築き上げる中心となった。一番苦しい時期に体を張り続け、ひたすらマット内の充実を目指した。

中邑に延髄斬りをヒットさせる棚橋
中邑に延髄斬りをヒットさせる棚橋

 まだ団体が完全に再建する前の05年1月4日、棚橋は初めて東京ドームのメインを踏んだ。相手は永遠のライバル・中邑。棚橋のIWGP「U―30」王座に中邑が挑戦する形で決戦のゴングが鳴らされた。本紙は詳細を1面で報じている。
『エンジンがかかった両者は打撃戦に突入。棚橋は秘技ドラゴンバックブリーカーを2連発。さらにドロップキックで場外に吹き飛ばし、ドラゴンロケット。場外のフェンスがグシャリと折れ曲がった。防戦一方の中邑も4度目のドラゴンスリーパーを体を回転させて脱出。棚橋をコーナーに振り、ジャンピングニー、スピアー、パワーボム、全体重を浴びせたエルニーニョを決める。しかし棚橋はスピアーをドロップキックで迎撃。勝負どころと判断した棚橋は「ウオーッ!」と絶叫してドラゴンスープレックスでカウント2・9まで追い込んだ。しかし中邑は驚異的な体力でしのいで逆十字固め、背後からスリーパーだ。棚橋の意識がもうろうとすると逆十字に移行。24分45秒、棚橋からギブアップを奪い死闘に終止符を打った』(抜粋)

 棚橋は試合後「悲しいですね、悲しい、悲しい…」と涙を流した。苦労は続いた。棚橋は06年7月17日札幌でIWGPヘビー級王座を初戴冠したが、この時は王者のブロック・レスナーが来日をドタキャン。空位の王座決定トーナメントを制したが、涙ながらに「愛してま~す」と絶叫した。

 ようやく団体が再興へ向かい始めたのは09年1月4日ドームで武藤敬司からIWGP王座を奪還した時期からだろう。親会社も代わり、やがてブシロードがオーナーとなるや業界の盟主の座は盤石のものとなった。
 その後もオカダ・カズチカ、内藤哲也らの台頭、中邑のWWE移籍…。新日本はめまぐるしく変貌を遂げたが、その間に8回のIWGP王座奪取と4回のプロレス大賞MVP獲得。常に中心で体を張っていたのは棚橋であることに間違いはない。まだ47歳。「トップを目指す限り引退はない」と断言する“社長兼エース兼王者”の新たな黄金時代に期待したい。 (敬称略)