【昭和~平成スター列伝】全日本プロレス、暮れの祭典「世界最強タッグ決定リーグ戦」は、11月からフリー参戦したばかりの3冠ヘビー級王者・中嶋勝彦が大森北斗とのコンビで初優勝。わずか1か月強で王道の2大タイトルを手中にしたのは衝撃だった。

馬場が見守る前でキマラ2にジャイアントチョップを見舞う大巨人
馬場が見守る前でキマラ2にジャイアントチョップを見舞う大巨人

 最強タッグの長い歴史の中でも、衝撃的で忘れられないコンビが存在する。“世界の16文”ことジャイアント馬場と“大巨人”アンドレ・ザ・ジャイアントの大巨人コンビだ。2人は1990年4月13日東京ドームの日米レスリングサミットで初タッグを結成。大きな期待を背負って同年のリーグ戦に初出場した。

 一時は単独首位を走る快進撃を見せるも、ザ・ファンクスとの公式戦(11月30日、帯広)で馬場が左大腿骨亀裂骨折の重傷を負って長期欠場。引退説も飛んだが6月1日に奇跡の復活。満を持して91年のリーグ戦にアンドレとのコンビを復活させた。209センチの馬場と223センチのアンドレ。立っているだけで強い。まだ駆け出しの記者は「コミュニケーション? そんなもん長くやってるんだからお互いに何も言わなくても分かるやろ! 調子? 悪かったらリングに上がるか!」と一蹴されたのを覚えている。まだ御大は怖い存在だった。

 引退どころかリーグ戦で馬場は破竹の快進撃を見せた。連覇を狙うゴディ、ウィリアムス組、ハンセン、スパイビー組、三沢、川田組、鶴田、田上組ら強豪13チームが揃う中、最終戦(12月6日、日本武道館)まで優勝争いに残る大暴れを見せたのだ。

 しかも不利とされた鶴田組戦(11月22日、高松)ではリバースネックブリーカードロップで、馬場が田上をフォール。翌23日、米子では馬場がゴディのラリアートに沈んで初黒星。11月29日、札幌ではハンセンのラリアートにまたもや馬場が沈むも、敗戦はこの2敗のみだった。

 12月2日、仙台では馬場が川田を首固めで押さえて三沢組を退け、V戦線に生き残る。日本人トップ2のチームを撃破した馬場組は2点差で最終戦を迎えた。

 首位は20点のハンセン組、19点で三沢組とゴディ組、18点で馬場組、鶴田組が追い、最終日の結果次第では複数チームによる決定戦の可能性もある大混戦となった。優勝を諦めない馬場組はセミ前でブッチャー、キマラ2組を撃破してメインの結果を待った。「馬場武道館で大噴火」の見出しが目を引く。

「怨敵ブッチャー組と対戦した馬場組。まだVの可能性が残っているとあって意気込みはすさまじい。凶悪コンビのわなにはまってアンドレがロープにからまって孤立。だが馬場はあわてずブッチャーにランニングネックブリーカードロップ一閃。ブッチャーを沈め、Vへ望みを託した。またV最右翼のハンセン組は鶴田組と対戦したがハンセンのラリアートがスパイビーを誤爆。すかさず鶴田が最上段から空中弾をぶちかます。この結果、馬場組、ハンセン組、鶴田組が得点20でメインの結果を待った」(抜粋)

 だがメインは大激闘の末、ゴディが川田をパワーボム葬。史上初のV2を達成して馬場組奇跡の逆転Vは夢と消えたが、2位タイはVにも匹敵する快挙だった。

「去年勝ったゴディ組に負けたのが致命傷。ここまでやれたんだからよしとしなけりゃな」と馬場は笑顔を見せた。結局、大巨人コンビはこの年が最後となったが、馬場は92年に小橋との「親子タッグ」、93、94年にはハンセンとの「巨艦砲」で出場。95年(パートナーは本田多聞)まで出場を続けた。タイトル戦は89年3月のアジアタッグ戦が最後だったが「暮れの祭典」は馬場にとっても心躍る大舞台だったに違いない。
 (敬称略)