【昭和~平成スター列伝】現在のプロレス界で12月は全日本プロレス「世界最強タッグ決定リーグ戦」、新日本プロレス「ワールドタッグリーグ」とタッグリーグ戦が定番となり、マット上を盛り上げている。

怒れる力道山の猛攻にたじろぐデストロイヤー
怒れる力道山の猛攻にたじろぐデストロイヤー

 タッグといえば日本最古の王座、アジアタッグが有名だ。プロレスの祖・力道山の時代には、春の「ワールド大リーグ戦」が看板シリーズで、タッグのリーグ戦は存在しなかった。それだけに昭和の時代にはアジアタッグ王座はタッグの頂点とされ、力道山は1960年6月7日の初戴冠から63年12月15日に不慮の死を遂げるまで、ナンバー2の豊登とアジアタッグ王座を独占。他の日本勢には譲らず、4度の戴冠と通算20回の防衛を達成した。

 今年はくしくも力道山の没後60年となるが、63年12月6日名古屋では力道山と豊登が「最後のアジアタッグ防衛戦」を行っている。相手は“白覆面の魔王”ザ・デストロイヤー、“狂犬”バディ・オースチン組。力道山はこの直前、12月2日東京と12月4日大阪でデストロイヤーとインターナショナルヘビー級王座をかけて歴史に残る死闘を展開している。

 12月2日東京体育館では2―1で力道山が勝利。大阪では足4の字固めが決まったままリング下に転落して両者リングアウトに終わるも力道山は20回目の防衛に成功。このシーンは、平均視聴率64・0%を叩き出した5月24日東京体育館の初対決(足4の字固めが決まったままレフェリーストップ)同様に今でも伝説になっており、最後の同王座防衛戦となった。最後のアジアタッグ防衛戦(61分3本勝負)を本紙は1面で「鮮血の死闘!!力道防衛」の見出しで報じている。

『両チームのエースは東京、大阪の連戦で体中に傷がついている。1本目は力道山が飛び出し狂犬、魔王をロープに飛ばし豊登が体当たりを決める。悪党コンビは豊登にキーロック、魔王がニードロップを決める。豊登は23分、7分に及ぶ腕攻めからようやく脱出した。力道山の逆エビ固めに魔王はギブアップしたが沖レフェリーは失神してカウントを取れない。そのまま両軍はイスを取り合い大乱闘。魔王は力道山をマットに叩きつけて大流血させるが、狂犬が大荒れして反則負けとなった(30分6秒)。2本目、死闘は続く。魔王は足4の字固めにすべてをかけた。3度、4度と豊登を狙うがそのたびに力道山がキック。魔王のサーフボード(地獄波乗り固め)が光るも、キックとパンチで4人がリングの上と下を行きかう。王者組はヘッドロックで悪党コンビをハチ合わせさせ、すかさずいっぺんに2人を股裂き。しかしその瞬間、時間切れ引き分けのゴングが鳴った』(抜粋)

 なんと61分を戦い抜き1―0で6度目の防衛。力道山はインターナショナル王座防衛戦の連戦を教訓に、魔王の足4の字固めを徹底的に封印してみせた。

 結果的にはこれが力道山にとって最後のタイトル戦となり、暴漢に刺されて入院中の12月15日に帰らぬ人となった。現在は様々なタイプの選手が巻くアジアタッグ王座だが、昭和の日本人にとってまばゆいばかりの光を放つ“至宝”だった。 (敬称略)