新日本プロレス、無我ワールド・プロレスリングなどで活躍したフリーのプロレスラー、吉江豊さんが10日に死去した。50歳だった。全日本プロレスの発表では、この日の高崎大会出場後に体調が急変し、高崎市内の病院へ救急搬送されたが、そのまま帰らぬ人になったという。同じ大会に出場していた全日本の専務執行役員を務める諏訪魔(47)が取材に死因を明かし、かつての師匠、ドラディションの藤波辰爾(70)が哀悼の意を表した。
吉江さんはGメッセ群馬メインホール(高崎市)で行われた全日本の大会に出場。第3試合のタッグ戦で井上凌と組み、大森北斗&崔領二と対戦した。関係者によると、試合ではいつもと変わらぬファイトを繰り広げ、試合後はバックステージでもコメントを出していたという。容体が急変したのは控室に戻ってからだ。高崎市内の病院に救急搬送されたが、そのまま死亡が確認された。
自身の試合後に病院に駆けつけた諏訪魔は「選手みんな、ショックを受けています。プロレスラーは、いつ何があるかわからない職業だけど、今回、そういうタイミングになってしまって…」と声を詰まらせる。
遺族から死因は「動脈硬化によるもの」と説明され「プロレスの試合が原因ではないので、気になさらないでください」と言われたという。「雪の中でも半袖、短パン姿でいる方で、元気で明るい方でした。本当にまさかですよ…」と先輩の死を悼んだ。
群馬・前橋市出身で1994年12月9日の新日本プロレス徳島大会(対小島聡)でデビューした吉江さんは、無我ワールド、ドラディションを経て2009年にフリーに転向。新日本のIWGPタッグ王座のほか、全日本の世界タッグ王座の戴冠実績がある。
06年の無我ワールド立ち上げから吉江さんと縁が深いドラディションの藤波は「ショックですよ。うちにも出てくれていたし、無我で一緒にやっていた仲間だから。まさかこんなニュースを聞くとは夢にも思わなかった」と声を落とした。
「俺が50年以上プロレスをやってきて、思い出に残る選手だよね。無我でやったときは大きな戦力だったし、キャラクター性もあったし、頼もしいって言うのかな。無我では営業の一員としても頑張ってくれ、地元でも地方でも、彼のファンがいっぱいいたので協力してくれた」と振り返る。
吉江さんがフリーに転向後も、常に気にかけていたという。「いろいろな人から愛されていた。心よりご冥福をお祈りいたします」。ピンクのコスチュームに身を包み、180センチ、150キロの巨漢で暴れ回った吉江さんの姿は、永遠にファンの記憶に残る。













