【プロレス蔵出し写真館】〝炎の飛龍〟藤波辰爾が12月10日、群馬・高崎市のGメッセ群馬で開催される「群馬プロレスカーニバル2023」に参戦する。2日にはノアで征矢学と師弟タッグも結成した。

 いまだ現役で、12月28日に70歳を迎える藤波が、引退の危機に見舞われたのは今から34年前の1989年(平成元年)のことだった。6月22日の新日本プロレス、佐久市総合体育館で行われた〝皇帝戦士〟ビッグバン・ベイダーとのシングルマッチで腰を負傷。控室に戻ると、うつ伏せのまま動けなくなった。

腰を痛めタクシーに乗るのもつらそうな藤波(1989年7月、青森市)
腰を痛めタクシーに乗るのもつらそうな藤波(1989年7月、青森市)

 7月3日の青森大会では、スーパー・ストロング・マシン&ジョージ高野組に腰を執ように攻められ、試合途中から立ち上がることさえできない状態になってしまう。試合後、タクシーに乗り込む藤波はかなりつらそうで、深刻な状態が見てとれた。結局、翌4日の五所川原大会を最後に長期欠場に入った。

 藤波が復活したのは、翌90年9月30日の横浜アリーナ。越中詩郎を相手に、5分間のエキシビションで約1年3か月ぶりに試合を行った。

 試合後、打ち上げ会場に向かう藤波を通路で待っていたのは夫人の伽織さん。笑顔で握手をかわした後、伽織さんは涙ぐみ、藤波は目を潤ませた(写真)。

 伽織さんは「リングの上で動ける藤波を見るのが、想像できてなかったんで。動いてるのを見てることが不思議っていうか、信じられないって感じでしたね」と回想する。

 伽織さんが当時を振り返る。以下、一問一答。

――通路で涙ぐんでたが

伽織 まさか、あんな日が来るとは思ってなかったので。お医者様には、もう普通の生活に戻ることも無理。〝違う人生を〟って言われてた。試行錯誤しながらいろんな先生のところを回って、なんとか治そうと病院を探して探して…。主人には「治るよ」と言ってても、なかなかうまくいかなくて…。本当に治らないのか、普通の生活に戻れないのかっていう状況の中で、すごい時間が経過した。

――筋肉を鍛えることで治る可能性を示唆されたと聞いているが、それが効果あった

伽織 それの効果っていうよりは、希望がなくなってきたときだったので…。(私は)手術には踏み切る気持ちはなかったんですね。主人は「もう手術したい」って言ってたんですけど…。

――そうだったんですか

伽織 いや、最初は主人も手術したくないと言ってましたけど、やっぱり長く苦しんでると「もう頼むから手術させてくれ」って。ただ、私はどうしてもメス入れたくなかったんです。で、なにか方法があるだろうってことで、最後に行きついたところで紹介された先生から「藤波さん、もう一回原点に戻って、体を鍛え直すことからやってみませんか?」って言われて、そこで希望が見えたんです。ただ、ちょっと不思議なこともあって…。

――それは

伽織 〝誰が治してくれたか、わからないんですけど〟実に不思議なことがあって、それを機にぐーんと治っていったんですよ。

――不思議なこととは、具体的に

伽織 名古屋の方に〝超能力〟の先生がいて…

――超能力ですか

伽織:富野(徹三氏。中京地区のプロモーター)さんのご紹介で超能力の先生に見ていただいたら「藤波さんは治る」と。「ただ、飼っている犬の命が奪われる。その子が藤波さんの代わりに命をなくす。その代わり藤波さんは治るよ」って言われたんですね。

――そうなんですか

伽織 複数の犬を飼ってたんですけど、主人は「治りたいけど、犬の命が大事だから嫌だ」って言ってたんですけど、その話を聞いてからアッという間に犬の具合が悪くなってきて、余命2か月って宣告される病気になって…。

――そんなことが

伽織 主人も、ほぼ寝たきりだったんですけど、犬も寝たきりになって。主人と犬と一緒にリビングで寝かせてて、そこで点滴打ったりするような生活がずっと続いてたんですけど、その犬が亡くなって、それから1週間たたないうちに主人の体に変化が出てきて、すごい急な上昇線で回復していったんですよ。

――そうなんですか

伽織 そうなんですよ。それで主人が「その犬に悪いことした」って言って。もちろん、そのときに主人もトレーニングは始めてましたけど、効果が急に出るもんじゃないですからね。ただ、その子が亡くなったとたんに良くなっていったことは事実で。だから主人は今でもその子には感謝してます。

伽織さんと愛犬ウィリー(1986年7月、長野・松本市)
伽織さんと愛犬ウィリー(1986年7月、長野・松本市)

――伽織さんは、プロレス会場にもよく愛犬を連れて来てましたよね

伽織 ウィリー・ウィリアムスから名前を取った、ウィリーっていう子なんですけど。元気に育つと思ったら、4年8か月で主人の代わりに逝っちゃったっていう、(超能力の先生が)言われた通りのことが起きていったので、否定のしようがないっていうか…。

――不思議な話ですね

伽織 犬は飼ってもらった恩返しになにかを返す、いろんなものをかぶって逝くっていうことは、よく聞いている。ちょっと普通じゃありえない回復でしたね。

――89年にメスを入れなくて、2015年に手術(脊柱管狭窄症)をしたことは正解だった

伽織 と思ってます。入れてたら、今まで試合できてなかったと思ってます。そのときは悩みました。本当にこのまま、(手術)させないでいいのかどうかって。私の思いだけで(手術しない選択を)していいのかって、すごい悩んだんですけど、でも、後々考えてもあれは間違ってなかったって思ってます。

――横浜アリーナから改名しましたが(旧名は辰巳)。伽織さんも平仮名だったのが漢字に

伽織 主人はケガが多かったですよね。(椎間板)ヘルニアまでが。見てもらったら字画が悪いと。「今度ケガしたら命落としますよ」って言われて、それじゃ変えた方がいいねっていうことで。私も見てもらって変えました。

――伽織さんはプロフィールに〝食卓をプロデュースするキッチンナビゲーター〟と紹介されてるが

伽織 オリジナルの食品を作って食品メーカーとしての仕事をしてます。私のレシピで商品を開発して、それを販売、卸、小売りもしたりという形でやってます。キッチンナビゲーターとしてやらせてもらってます。

――ところで、藤波さんが現役を続けていることには

伽織 もちろん、できるとは思ってたんですけど、やっぱり日頃の努力のたまものでもあるけれど、持って生まれた体にも恵まれてたし、まだまだできると思ってます。

――続けられるところまでやってもらいたい

伽織 もちろんそうですね。何歳までっていう区切りはつけてませんので、本人が納得するところまでやってもらいたい、と思ってます。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る