【プロレス蔵出し写真館】いまだに、根強くファンの記憶に残る41年前の事件がある。長州力の「かませ犬」事件だ。
1982年(昭和57年)10月8日、新日本プロレス、後楽園ホールで長州の〝凱旋帰国〟第1戦が行われた。
メキシコで一度はUWA世界ヘビー級王座にも就いた長州は、イメージチェンジして帰国を果たした。七三、パンチパーマを見慣れていたが長髪になっていた。体形もいくぶんスリムに感じる。
アントニオ猪木、藤波辰巳(現・辰爾)とタッグを組み、6人タッグでアブドーラ・ザ・ブッチャー、バッドニュース・アレン、S・D・ジョーンズの外国人チームとの対戦だが、入場のときからやけに険しい表情だ。
どちらが先発するかで藤波とモメた。さらに試合中は互いにタッチを拒否。猪木がリングで戦っているのも眼中になく、2人はコーナーで言い争いを始めた。そしてリングで張り手とパンチの応酬まで繰り広げ、壮絶な仲間割れ。
試合が終わると長州は藤波に向かって行き、張り手を見舞い場外に蹴落とした。
マイクを握った長州は藤波にくってかかる。「オレはお前のかませ犬じゃない!」
そう発言したとして、一躍、長州の名を世に知らしめた「かませ犬」事件だ。
長州は控室で「日本に帰ってくる飛行機の中で考えた。なぜオレは藤波の後ろを歩かねばならないのか(※猪木、坂口征二、藤波に次ぐ序列が4番手という意味)、オレだってチャンピオンだ。どっちが強いか争うのは当然だし、それが今、行動になって表れてしまった。(猪木)社長は別格の人だが藤波、坂口(征二)だったら十分勝てる」と、かつて北米タッグのパートナー坂口までこき下ろした。
今でもはっきりしないのは、このとき長州は「かませ犬」と言ったのかどうか。
長州は後に「あれはマスコミがつくった言葉、オレは言っていない」と断言し、「でも、言ったかも知れないな…」と曖昧に表現していた。
元専門誌「ゴング」のプロレスライター小佐野景浩さんは、当時の誌面を確認してくれた。それによると――
「月刊ゴング」12月号(10月27日発売)の〝いったい何が長州力の反逆精神に火をつけたのか!?〟と題した記事に、「長州は『なぜ…俺は藤波より下なんだ。俺は今までジッと耐えてきた。だが、もう我慢できない。俺は噛ませ犬じゃないんだ。力だってキャリアだって負けはしない。わかってくれ、藤波っ、勝負しろ!!」と絶叫した。」とある。
また、グラビア写真では記事をもとに「藤波よ、俺は今まで耐えてきた。俺もメキシコでチャンピオンになった。俺とお前のどこが違う。俺はかませ犬じゃない」と胸の内をアピールと、キャプションが付けられている。
小佐野さんは「誰が書いたか記憶はないですが…当時は録音するという慣例がなかったし、こうハッキリ聞こえたとは思えないんですよね」と明かす。長州の意を酌んで、脚色されたセリフだった可能性が高そうだ。
「月刊ビッグレスラー」12月号では長州がインタビューに答えている。そこでは「ここで自分を主張できなかったら、俺は一生〝かませ犬〟のままで終わるんですよ」と語っていた。
東スポ紙面では「オレは今まで耐えてきた。オレもヘビー級のチャンピオンだ。なんでお前の命令を聞かなきゃならないんだ。お前とオレといったいどこが違うんだ。オレはメキシコからの帰り、ずっと考えてた。お前を叩き潰す」だった。
「かませ犬」は専門誌のインタビューでは言ったが、どうもその日のマイクでは言っていないようだ。
これは当時、金曜8時ゴールデンタイムで生中継され20%超えの視聴率を誇っていたテレビの恩恵、古舘伊知郎アナの功績が大きいだろう。
「ワールドプロレスリング」で実況していた古舘アナは2人の戦いを「名勝負数え唄」と形容し、「掟破りの逆サソリ」という名フレーズも生み出し、プロレスファンに支持された。「かませ犬」も同じように広まったのではないだろうか。
とにもかくにも長州はこの発言でブレークし、時代の寵児となった。
翌83年4月3日の蔵前国技館で、長州は藤波から待望のシングル初勝利を挙げ、WWF(現WWE)インターナショナルヘビー級王座を手中にした。
「俺の人生にも一度くらいこんなことがあってもいいだろう」。
長州が控室でそう名言を残したときは、ハッキリと聞き取れた(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














