【プロレス蔵出し写真館】“プロレスリングマスター”武藤敬司が2月21日、東京ドームで現役を引退。解説席の蝶野正洋を呼び込むシーンは、まさにエンターテイナー武藤の面目躍如だ。

 さて、引退といえば感動的なセレモニーを行ったのは〝闘将〟アニマル浜口だった。今から35年前の1987年(昭和62年)8月20日、新日本プロレス両国国技館でリキ・プロの主催で行われた。浜口は「この四角いリングの中に僕の青春がありました。人生があったんですよ。ありがとう、プロレス。さようなら、プロレス」。そう名言を残し、プロレス界に別れを告げた。

 浜口は83年4月、ラッシャー木村と仲間割れし、5月15日に会見を開き「はぐれ国際軍団」に決別宣言した。そして、翌16日の新日の三重・津大会を長州力とともに無断欠場してぷっつりと消息を絶った。

 すると、20日に東京・築地の東スポ本社に思いもかけず浜口夫人の初枝さんが訪れた。「プロレス関係者、マスコミ、ファンからも奥さんはご主人の行先を知っているのでは…」と毎日電話が殺到し、ほとほと返答に困り果てノイローゼ気味だと明かした。浜口は17日に東京・浅草の自宅に戻って来て、「プロレスを愛するがゆえにとった行動だ。何も心配しないでくれ。2、3日留守にするからな」そう言い残し、カバンひとつで出かけて行ったという。

初枝さん(左)の店・割烹「香寿美」でマイクを握る浜口(82年5月、東京・浅草)
初枝さん(左)の店・割烹「香寿美」でマイクを握る浜口(82年5月、東京・浅草)

 初枝さんは「ウチの人は間違った方向に足を踏み入れるような人ではありません。それは信じていますが、ただ職場放棄してファンのみなさんにご迷惑をかけ、大変心苦しく思っています。ぜひ家に戻ってはっきり理由を聞かせてほしい。そのことを東スポさんの紙面を通じてウチの人に呼びかけてほしい」と〝尋ね人〟依頼。

 浜口は長州、マサ斎藤と6月17日に新日事務所を訪れ新間寿取締役営業本部長に辞表を提出し、その後はフリーで参戦した。
 
 長州と息の合ったハイジャック戦法で人気を呼んだ浜口は、維新軍のナンバー2として活躍。その後、維新軍団は新日を脱退してジャパンプロレスを設立。86年のジャパン分裂騒動で、浜口は引退を選択した。

 87年11月に「アニマル浜口トレーニングジム」をオープンし、翌年には体重を100キロから70キロに減量してボディビルに挑み、東京地区予選で優勝。89年9月には第1回全日本ボディビル選手権にも出場した。

ボディビルの大会でポージングする浜口(89年9月、千葉・習志野)
ボディビルの大会でポージングする浜口(89年9月、千葉・習志野)

 その浜口が、「長州、燃えてくれ!」と連呼したのは90年(平成2年)1月18日、新日の山口・徳山大会。乱入した浜口は、長州に馬乗りになり張り手を乱打。涙で顔はクシャクシャだ(写真)。宿舎に戻ってスーパー・ストロング・マシンと会見した浜口は、「昔のギラギラした長州に戻ってほしいから事を起こした。オレは長州を目覚めさせることでプロレス界に恩返しがしたい。レスラーとしてのカムバックはない」と断言した。

 しかし、5月6日の後楽園大会で長州、越中詩郎、佐々木健介、小林邦昭組VSブロンド・アウトローズ(マシン、後藤達俊、ヒロ斎藤、保永昇男)組の8人タッグで、長州のケンカ越しの挑発に浜口が呼応し、馳浩も加わり10人タッグへ急きょ変更され、浜口は試合に出場。3本目、健介にバックフリップを決め勝利を挙げた。

「川の流れがこうなってきているので、もう引き返せない。プロレスから逃げ切れなかったということです」と、復帰宣言したのだった。

 実直な浜口の復帰には驚かされたが、果たして武藤は…(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る