【前田日明(29)】リングス・ジャパンの話になると、1995年5月20日の鹿児島大会で俺が坂田(亘※1)をボコボコにした話をよくされることがある。ネットの動画で見た人も多いかもしれない。
坂田がデビューして間もないころの鶴巻(伸洋)との試合。負けるような相手ではなかったんだけど、鶴巻が頑張ってドローになったんだよ。相手が頑張ってるんだから、坂田も血みどろに必死で取りに行けばいいじゃん。なのにカッコつけた試合をしてさ。デビューして間もないガキが何をカッコつけてんだと思って見てたんだよね。
試合が終わったら「すんませんでした」って来るんかなと思ったら来ない。そんでバックステージに行ったら足組みながらWOWOWに「いやー鶴巻君も頑張りましたよね」とか言っててさ。デビューして2~3戦のクソガキが何かっこつけてんだと思って、ボコボコにしたんだよ。その後はメインの俺の試合が終わるまで会場でスクワット。新日本が昔そうだったからね。俺がリングスの道場でやったことは全部新日本流だったよ。
そのシーンの映像を確か(格闘技専門の映像ソフト制作販売会社)クエストの小暮(祐二)さんが撮って、誰かに面白がって見せたんだよね。そしたら勝手にダウンロードされてネットに流されてしまった。それで多くの人の目に触れることになってしまったんだ。
あれで俺がずいぶん怖い人みたいなイメージが増しちゃったのかもしれないけど、本気でやってるわけじゃない。本気なら1、2発で終わりだよ。顔面も殴ってない。「でもイスで殴ってるやないか」って言われるかもしれないけど、倒れてから脅かすためにやってるわけで、頭には当たらないように計算してやってるに決まってるじゃん。
今の時代にあれをやってたら完全にアウトだけど、昭和はそんなもんだよ。あ、もうあの時は平成になってたか。坂田にはいろいろ問題があったけど、でも俺は新日本流でみんな平等に厳しくしてた。だって(アントニオ)猪木さんなんてプッシュアップバーで頭バーンと割って大流血というのが当たり前のようにあったよ。その背中を見て育ってきたんだから、当時はそれが当たり前だったんだよ。
その一方で選手としての俺は満身創痍が続いていて、96年になって左ヒザの後十字靱帯の再建手術をした。ヒザをかばって腰も悪くしてしまっていて、あちこちケガしていたからね。いつまでも現役をやるつもりはなかったんだけど、どこを引き際にしようか考えるようになっていた。
※1 アニマル浜口道場出身のプロレスラー、夫人は俳優の小池栄子
☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。












