【前田日明(24)】 フロント批判で5か月の出場停止を下された俺の元には、高田(延彦)、船木(誠勝)、鈴木(みのる)、宮戸(優光)の4人が来て、1990年12月1日の松本大会への来場を要請された。神(真慈社長)や鈴木(浩充専務)が裏であることないこと言って俺は悪者にされていたから、その時は「みんなようやく分かってくれたんだな」と快諾した。

 松本大会が終わって、俺もリングに上がって選手全員で「万歳三唱」した。91年にSWSへ行くと決まっていた藤原(喜明)さんもリングに上がって、選手の一致団結が示された。やっぱりうれしかったよね。これからうまくやっていく自信もあった。

 でも、この6日後の12月7日、全選手が神たちに解雇され、新生UWFは終わってしまった。「バカか、こいつら」と思ったね。億単位のカネがキャッシュで会社に残ってたから、山分けして逃げる気なんだなと思った。でも彼らを追及する前に、俺には、みんなに試合をさせる責任がある。10日には記者会見を開き、新団体を翌年3月に旗揚げすると発表した。

 この期間、UWFのみんなに俺が給料を払っていたんだ。母親に「家を買ってやる」と預けていたカネを引き戻して。後になって山ちゃん(山崎一夫)だけが、おカネを返してくれた。宮戸たちが山ちゃんのことをなんだかんだ言ってたけど、いつも嫌な役目を文句も言わずにやってくれた。彼が俺のことを一番悪く言ってもいいはずなのに、1回も言わない。本当に誠実な男なんだよ。

 年が明けて91年1月に俺の自宅でミーティングを行った。新団体設立に向けて「1人でも信じないならやらない」と言った。そうしたら宮戸が「信用しろと、急に言われても、すぐには言えません」。安生(洋二)も続いて出ていった。2人は89年3月に練習生の堀口(和郎)君が練習中に亡くなった事故の当事者だった。その前にも海老名(保)君が練習中に大ケガを負って再起不能になった。俺は「何てことしてくれたんだ」とキツいことを言ったし、新団体になったら外されると思ったんだろう。

 もう一つは新団体でオランダの格闘家連中を呼んでやる方針が決まっていた。そうなると当時の安生、宮戸はハッキリ言ってアウト。彼らが(ディック)フライ(※1)とか、ピーター・アーツ(※2)とできると思う? 俺の頭のなかでは当時、2人をレフェリーにしようと思ってたんだ。

 そんな2人でも仲間だから守るつもりだった。俺はショック療法のつもりで全員に「じゃあ解散だ」と言ったんだよ。

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。

※1オランダ出身の総合格闘家
※2オランダ出身のキックボクサー

【前田日明コラム】をもっと読む