【前田日明(21)】 興行は好調だった新生UWFだけど、所属選手はたった6人。大きな会場になると、マッチメークするにも選手が足りない。そこでシュートボクシングに話を持っていって、1988年8月13日に有明コロシアムで合同興行「真夏の格闘技戦」をやったんだ。
当時の有明コロシアムには屋根がなく、しかも台風が2つ北上しててさ。試合3日前から降水確率100%。前日もざんざん降りで「もう無理だろうな」と思った。延期の日程なんて押さえられてないし、旗揚げして3か月で大会の切符が払い戻しなんてなったら、もう潰れるしかないからどうしようかなって。
でも当日になったら昼くらいからパッと雨がやんで試合開始。全試合終了のゴングが鳴ったらザーッと降ってきてさ。大会が無事開催できたのはラッキーだったし、本当に神がかってたよ。
俺はメインで(ジェラルド)ゴルドー(※1)と異種格闘技戦をやったんだけど、試合はあんまり覚えてない。当時は注目されて、やれ取材だ、やれ出演だって、うわーっと来たんだ。なるべくセーブするようにしたんだけど、いま考えると大変だった。100%リング上だけに集中できなくなって、道場に行けない日も出てくるようになった。
しばらく少ない人数で続けたけど、89年になると藤原(喜明)さん、船木(誠勝)、鈴木(みのる)が合流した。藤原さんは新日本プロレスと契約しても扱われ方が前と同じで(アントニオ)猪木さんに不信感がいっぱいだった。都合のいい時は用心棒で、前座扱いでさ。あのころは「社長を尊敬しているけど、葬式があっても行かない」って言ってた。あの2人も不思議な関係だよね。
船木については「引っ張ろう」って話が前々からあった。船木が海外遠征でドイツにいるときから文通して。だから船木ぐらいだろうなって思ってたんだけど「鈴木っていうのも元気よさそうだよ」というのを、山ちゃん(山崎一夫)が言ったんじゃないかな。最後は俺が猪木さんに会って、円満に移籍が決まった。
船木たちは何をやっていいか、ダメなのか混乱してる様子だったね。第1次UWFを経験してないから勝手が分からない。そこにアンチUWFみたいな記者が付いて、変な話を吹き込むこともあった。鈴木については致命的なことがあって、入団して最初の合同練習に2時間遅れて来て、俺にひっぱたかれたんだよ。そこからアイツは言うこと聞かなくなってさ。
でもそのころはそんなにメンバー内のもめ事はなかったし、心強い仲間が増えたことに変わりはなかったよね。












