【前田日明(27)】リングスの旗揚げ2戦目(1991年8月1日、大阪)前の練習で左膝前十字靱帯断裂、側副靱帯損傷、半月板損傷の大ケガを負った。立つこともままならなくて、試合当日はテーピングでグルグル。なんとかリングに上がったけど、立っているのが精一杯だよ。どうしようかなって。やる前にも鎮痛剤をたらふく飲んでるから、リングに上がったら幻聴で小鳥の鳴き声が「ピヨピヨ」聞こえてきた(笑い)。
それでも当時は俺が出場しないとWOWOWから放映権料が入らない契約だから抜けるわけにはいかない。手術をする93年1月まで強行出場を続けた。リングスではやることが多すぎて、まともに選手をやってられなかったね。1日に3時間も寝てないし、練習して新弟子の面倒も見ないといけないし、社員のミスも自分がカバーしてたし、多忙がケガにつながった部分もある。
そんな団体の起爆剤になってくれたのがリングス・ロシアの存在だ。キッカケは新日本プロレスが89年4月に東京ドームでやった(アントニオ)猪木さんとショータ・チョチョシビリ(※1)の試合を見に行ったこと。猪木さんができるんだったら俺らはもっと本格的に引っ張ってレギュラー参戦させたらおもしろいなって思っていた。
サンボの選手が欲しいと思って、国際サンボ連盟(FIAS)副理事長の堀米(泰文)さんに直談判したんだよ。「選手を紹介してもらえませんか」と。それで91年9月に堀米さんとロシアに行って、ウラジミール・パコージン(※2)を紹介してもらったんだ。すごく優秀で堀米さんに「ロシアの窓口にしたい」と言って、リングス・ロシアの代表になってもらった。
そして91年12月に初来日したのがヴォルク・ハン(※3)だった。当時よく「真剣勝負」だなんだって言葉が使われてたけど、ボクシングもキックも負けて死ぬわけではないし、厳密には「真剣勝負」じゃない。じゃあ実際に命のやりとりをしているのは誰かとなったら、軍人しかいない。昔から軍隊で格闘技をやってるヤツに興味があり「会ってみたい」とパコージンに言って、実際に練習を見せてもらったら斬新で面白いなと。ハンはソ連軍の空挺特殊部隊の教官だった。これはピッタリだなと思った。
実際に試合をしたらハンのスタイルは日本でも大成功を収めた。クロスヒールホールドは彼が日本に持ち込んだもので、本当に革新的だった。俺自身もハンとは9回も戦ったライバル関係にあったし、2012年12月に日本で彼の引退興行を手掛けたのも、それだけ特別な思い入れのある選手だったからなんだ。
☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。












