【前田日明(25)】1991年1月に自宅で行ったUWFのミーティングで宮戸(優光)と安生(洋二)から信用を得られなかった俺は「解散」を宣言した。それには一つ狙いがあった。発表していた新団体はオランダの格闘家を呼ぶ方針が決まっていたけど、みんな自信ないだろうし、ワサワサなる予感があった。だからショック療法で「解散」。もう1回まとまったら良い組織になると思ってたんだ。

 より強い団結を生むためだったけど、思惑通りにならなかった。高田(延彦)は「自分が動きますよ」と言ってくれたけど、後で聞いたらおかしな話がいっぱい。船木(誠勝)から聞いたのは解散宣言の2日後に安生、宮戸が高田を連れて「一緒にやるんでやりませんか」って来たと。船木が「前田さんはどうするんですか」と聞いたら「辞めるみたいだよ」。俺にしたら高田、どうなってんのってなるよね。

 それで解散宣言から1週間くらいたって高田から「もうどうしようもできません」って。でも騒動から日も浅いうちに高田を中心としたUWFインターナショナル(※1)が旗揚げ戦はどこでやりますと記者会見されたら、いつから動いてたんだよって。株式会社をつくるおカネはどうしたの? どうやって会場押さえた? 半年以上前から動いてないとできない話じゃん。俺も正直、人間不信になってしまった。

 今思えば新生UWFをつくった時、俺が資本金を出して株式会社を設立し、任命する形で神(真慈)や鈴木(浩充)を社長や専務にしたら良かった。でも当時は知識がゼロだったんだよ。結局UWFは分裂し、独りになった。ああ、終わっちゃったな。大阪に帰って…と思ったけど、一族は俺に頼ってるから。俺がバンザイしたらみんなバンザイしちゃう。どうしようかなと困っていると「UWFが解散したらしい」との報道が始まった。

 そのころ、親交のあった作家の中島らもさんからファクスが来て「君には挫折する資格がない」と励ましてもらったり(クリス)ドールマン(※2)から連絡があった。

 ドールマンにはすでに新団体の契約金1000万円払っていた。「解散と聞いたぞ」と連絡が来たから「カネは返さないでいい」と言ったら「うちの若いヤツらもプロ格闘家にならないと命を落としたりしかねないヤツらばかりなんだ。2人で頑張ろう」と言ってくれた。そうした人らの言葉もあって日本人は自分ただ1人で、新団体のリングスを立ち上げることを決めた。

※1第2次UWF解散で高田延彦が立ち上げた団体、通称「Uインター」
※2オランダ出身の柔道家、総合格闘家

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。

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