【前田日明(26)】UWFの解散騒動で人間不信にもなって燃え尽きた部分があった。家でくすぶっていると、心配してくれたゼンショー(※1)の小川(賢太郎)社長から「体でも動かしたらどうですか」。後にリングスの道場になる(横浜市)鶴見区の道場を借りてくれたんだ。練習を再開し「ああ、そうだよな。落ち込んでいても仕方ないよな。俺を裏切った人たちを見返すしかないよな」と思った。

 それにUWFも応援してくれていた坂東レーシングの坂東(正明)さんも道場に来て、練習後に一緒にちゃんこを食った。そうしたら「これ食べてよ」と菓子折りくれて。それと一緒に「返す必要はないから。リングスのために使ってよ」と手紙が入っていて、封筒の中にビックリする金額が入ってた。バブルがはじけたばかりで大変な時期。感激したし、今でもすごく感謝している。

(第2次UWFが)分裂してできた団体は「UWF」を名乗っていた。何言ってるんだよ、UWFって俺が頑張ったからできたんだよ。だからもう名前なんてどうでもいいやって。1人でやらないといけないし、他競技のトップのヤツらとやるしかないよなとの思いがあった。違うリングから選手を集めてくるってことで新団体を「リングス」にしたんだよね。

 キャッチコピーは「世界最強の男はリングスが決める」。ボクシングのWBAやWBCのような機構でありながら、日本で最も成功している相撲協会のような組織が理想かなと思っていた。

 1991年5月11日に横浜アリーナで行われた旗揚げ戦のメインで俺はディック・フライと戦った。見栄えもいいし、元気だし、藤原(喜明)さんともUWFで試合をしていた。ヘビー級である程度実力と知名度があって、最初期の旗揚げメンバーを見たら彼が適任だと思ったんだ。

 フライとは94年7月の大阪大会後に俺がキレたシーンが印象に残っている人も多いかもしれない。当時はリングス・オランダの監督者である(クリス)ドールマンが来てない時で、彼らの友達みたいなキックの選手が観光気分でくっついてきたんだよ。それで友達の前でカッコつけようと思ったのか、俺以外の試合でもオランダ勢が掌底の時に目を突いたり、反則があったりすごい荒れたんだよね。こいつら調子に乗ってるな、なんとかせんとあかんなって思いがあったんだ。

 外国人選手の航空運賃に滞在費もかかるし、リングスはめちゃめちゃ経費がかかるんだよ。だから最初の2年は大赤字。でも正道会館やロシア勢の参戦が起爆剤になって、いろいろ好転して黒字に転換できていった。

 ☆まえだ・あきら 1959年1月24日生まれ。大阪市出身。78年8月に新日本プロレスでデビュー。84年に第1次UWFに参加後、88年に第2次UWFを旗揚げ。91年にはリングスを立ち上げた。99年2月に「霊長類最強の男」と呼ばれたレスリング五輪3連覇のアレクサンダー・カレリン(ロシア)との一戦で現役を引退。その後も海外との人脈を生かして数々の強豪を招聘した。2008年3月からアマチュア格闘技「THE OUTSIDER」を主宰。192センチ、現役当時は115キロ。

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