新日本プロレス、真夏の祭典「G1クライマックス」(18日、日本武道館でファイナルトーナメント決勝戦)は、オカダ・カズチカが2連覇(通算4度目)を果たし、記念すべき旗揚げ50周年の大会を鮮やかに締めくくった。

 今からちょうど60年前の1962年5月25日東京体育館では、G1の「原型」である日本プロレスの看板リーグ戦「第4回ワールドリーグ戦」優勝戦が行われ、力道山が“鉄人”ルー・テーズを撃破して無双の4連覇を達成している。第1回と2回はリーグ戦に参戦していたが、第3回からはシード扱いとなり、リーグ戦の優勝者が力道山と優勝決定戦を争う形式が取られた。

 これが2度目の来日だった元NWA世界ヘビー級王者のテーズですら予選リーグ(8分3R)から参加したのだから、当時の力道山はもはや絶対的な存在だったのだ。

 しかも参戦した外国人も強豪揃いで元NWAヘビー級王者のディック・ハットン、フレッド・ブラッシー、マイク・シャープ、バディ・オースチンら元世界王者クラスがズラリ。特にテーズとハットンの公式戦(5月2日長崎)は屈指の名勝負となり、時間切れ引き分けに終わる。5月16日岐阜ではお互いが無敗のまま、再戦が行われ、2Rにテーズが変型の空中胴締め落としで辛勝し、事実上の「リーグ戦優勝戦」となる大一番を制した。

 この結果、最終的にはテーズが11勝1分けの無敗で優勝戦へ進出。力道山とは実に約4年ぶりのシングル戦とあって、プロレスファンは沸きに沸いた。62年5月25日の大一番を本紙は1面と中面で大々的に報じている。

「技と力を巧みに取り入れ、スピードに富んだ好試合だった。テーズの必殺技バックドロップを力道山が警戒し、河津と掛け足取りで封じた防御が印象的だった。1本目は力道山がキーロックでテーズの左腕を決め、転がしてはダメージを与えた。だが攻撃に気をとられ、テーズのエビ固め(押さえ込み)の早技にいかれてしまった。これまで多くの外国人が来日したが、このように防御から一気に攻撃に転じた技を見せたのはテーズが初めてだろう。誰もがあ然とした。2本目はテーズがコブシ打ちで力道山を攻めたのが逆効果に。ついに空手チョップが出て、ロープの反動で戻るところにもう1発。1―1のタイとなった。3本目はテーズが飛び蹴りで再三、力道山をマットの下に落とし、リングアウトになるかと思われた。しかし力道山は闘魂を燃やしてリングに上ると、またもや飛び蹴りにくるところを巧みにかわし、はずみでテーズが頭から落ちたところをフォールした。最初から最後まで技の応酬。ファンも本物のプロレスの醍醐味を堪能しただろう」(抜粋)

 試合後に力道山は「とにかく疲れた。1本目にヒジかヒザでアゴの骨が外れた。テーズはまたワシに挑戦してくるだろうが、次は今日のような意地の張り合いではなく自分のペースで空手を叩き込んで勝ちたい」と語っている。しかし力道山は翌年12月に急逝。テーズとの激突はこれが最後となってしまった。

 一方のテーズは「脳振とうは起こさなかったが、後頭部を打って分からなくなった。力道山はグラウンドも強くなっていた」と表情に悔しさをにじませていたが、それでも翌年1月にはバディ・ロジャースを撃破してNWA王者に復帰。約3年間、王座を守り抜いている。

 話はそれるが、この試合からわずか約10年後に新日本プロレスが旗揚げすることを考えると、時の流れの速さを痛感せざるを得ない。力道山とテーズ、最後の名勝負から60年。リーグ戦は過酷を極める一方だが、オカダにはまだまだ連覇記録を伸ばしてほしいと切に願う。

(敬称略)