【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(21)】欧州各地を転戦していた1987年当時の世界情勢は東西冷戦の真っただ中で〝危ない〟経験もいろいろあった。

 プロモーターのオットー・ワンツ、米国人レスラーと3人でドイツのハノーバーからベルリンに入った時の話だ。ここでは移動の高速道路で西ドイツから東ドイツの中を走らなきゃいけなかった。高速に入った先に検問があって、そこには戦車とか、機関銃を持った東側の検問官がいた。

 助手席に乗っていた俺は運転をしているオットーから「絶対に笑うな、相手の目を見るな」と警告された。真っすぐ前を見ながらオットーにパスポートを渡すと、オットーと検問官がドイツ語で何やらやりとりをしている。すると「シートベルトをしていないから罰金50ドルだ」って言われたよ(笑い)。

 別の機会に観光した東ベルリンでは、西側から来た人たち用のデパートに行ったけど、棚にはストックみたいに同じ商品がバーッと並んでいるだけ。要はバリエーションがないんだ。でもコーラは売ってたかな。ちなみに当時の転戦先だったウィーンは日本人レストランのスタッフに聞いたら、規制が薄かったから西と東の〝スパイ天国〟になっていたそうだ。

 話がそれるが、日本に戻った1990年には中国にも行った(※)。北京では、まず模範試合をやらされた。観客が5000~6000人ぐらい入る大きめの体育館で、客は誰もいないのに、スポーツ局の10人ぐらいの前で試合をさせられた。プロレスにならなかったよ(笑い)。

 その試合の後には選手の何人かでゲテモノ料理を食べに行った。面白がって長州(力)さんも、でっかいサソリのから揚げを食べていた。そしたら、翌日にみんな下痢になっちゃって…。帰国するまでそれが続いたんだ(笑い)。翌日は観光で万里の長城へ行ったんだけど、みんな片手にトイレットペーパーを持っていたよ。

中国・ハルビン大会で健介(下)に逆エビ固め(90年9月)
中国・ハルビン大会で健介(下)に逆エビ固め(90年9月)

 万里の長城に着いたらゲテモノ料理を食った連中は、みんな直行でトイレに向かうわけだ。縦社会だから長州さんが真っ先にバーンと扉を開けてトイレに入った。向こうのトイレは西部劇のドアみたいにオープンになっている。「長州さん、俺たちもヤバいんですよ、早くしてください、漏れます!」って言いながら用を足す長州さんのケツを見ながら待っていた。

 横を見たら、橋本(真也)選手もライガーも「早くしてくれ、早くしてくれって」って同じ状況だった(笑い)。今思えば、どちらもいい経験だったよ。

 ※1990年9月1、2日、中国・黒龍江省ハルビン市で「日中友好プロレス大会」が開催。蝶野はトーナメント戦決勝で佐々木健介を破り、優勝した。