【プロレス蔵出し写真館】今夏、「デビュー55周年パーティー」を開催した藤波辰爾は、72歳となった今も現役を貫いている。
藤波は1978(昭和53年)1月23日、米ニューヨークのMS・GでWWWFジュニアヘビー級王座を奪取。その試合で初公開した必殺技ドラゴンスープレックスを引っさげ、2月22日に凱旋帰国を果たした。
さらに3月には、場外の相手めがけて一直線に飛び込むドラゴンロケット(トペスイシーダ)を初披露。当時の日本マットでは衝撃的な空中殺法にファンは度肝を抜かれ、藤波人気が爆発した。
さて、そのドラゴンロケットが思わぬ惨劇を招いたことがある。
同年10月20日、大阪・寝屋川大会でのチャボ・ゲレロ戦。チャボにドラゴンロケットをかわされ、客席のイスに激突し、顔面から大流血するアクシデントが発生した。
さらに、それから18年後の96年(平成8年)に再び、壮絶な大流血に見舞われた。
4月29日、東京ドーム大会で藤波はWARの大将・天龍源一郎と2年4か月ぶりに対決した。1勝1敗で迎えた3度目の決着戦。藤波の気合は並々ならぬものがあった。
ゴングが鳴るや、藤波は猛然とラッシュ。強烈な張り手3連発からドラゴンスクリューを決めると、場外へ逃れた天龍めがけてドラゴンロケットを敢行した。しかも、1発では終わらない。なんと怒とうの3連発だ。
だが、この猛攻が裏目に出た。
3発目のドラゴンロケットで顔面をロープに痛打してしまったのである。さらに天龍のグーパンチを浴びると、鼻からは滝のように鮮血が噴き出した。出血は尋常ではなかった。呼吸さえままならない藤波は、天龍の後頭部、ノド元へのラリアートを食らい、無念のフォール負けを喫した。
あまりの惨状に、さすがの天龍も心配になったのだろう。試合後、藤波に歩み寄り「大丈夫か?」と声をかけた。ところが、藤波は「いらん心配するな!」と一喝。天龍を張り飛ばした。
負けん気の強い藤波らしい一幕だったが、実際には強がっていられるような状態ではなかった。
試合後、藤波は病院へ直行。翌日、鼻骨骨折で全治1か月の重傷と診断された。その症状は想像を絶するものだった。
まともに話すことができず、代わりに伽織夫人が凄惨な状況を明かした。
「試合後すぐに病院に行き、止血やレントゲン撮影を行ったんです。でも、出血がなかなか止まらなくて…。体を横にすると血がおなかに入ってしまい、それを戻すような状態でした。自宅に帰ってからも、ソファに座ったまま血を吐き出しながら仮眠を取っていたんです」。声を震わせる夫人の証言からも、事態の深刻さが伝わってきた。
鼻の穴には抗生物質を含ませたガーゼを詰め、圧迫止血を続けた。5月4日に都内の病院で鼻骨の修復処置を受けたが、骨折は鼻の右側2か所と鼻の上部1か所の計3か所に及び、鼻の上からギプスで固定。鼻の穴にも硬いガーゼを詰めるという二重の処置が施された。
7日、自宅で取材に応じた藤波は、痛々しい姿で(写真)こう語った。
「ギプスは10日に取れる予定だけど、まだ出血は完全には止まっていない。医者からは2~3週間、鼻を刺激しないように言われてます。思ったより症状は重かったよね」。そう苦笑いを浮かべたものの、壮絶なダメージを負ったことは明らかだった。
ところで、藤波と天龍は21日に都内で顔を合わせ、タッグ結成へ前向きな話で盛り上がった。結果、2人は6月30日に横浜アリーナで開催された「メモリアル力道山」のメインイベントで長州力&北原光騎組と対戦した。
後年、藤波は東スポの連載で当時を振り返り、生々しいエピソードを明かしていた。
「(ドラゴンロケットの)3発目を狙った際に、天龍が起き上がっているのは見えていたのにもかかわらず、足が完全に動かず、ロープに顔面を打ちつけてしまった。鼻から出血が止まらなくて、ボコッとドス黒い血の塊が出てきましたね。鼻の穴がふさがらないように棒を入れられると、つぶれた骨がバリバリバリってなってるのが聞こえて、気が飛ぶかと思うくらい痛かったのを覚えてます」
そして、笑いながらこう付け加えた。「今、鼻がペチャッと潰れて鼻声になっているのも、あの試合のせいですよ」
笑い話として語ってくれたが、この悲惨な鼻骨骨折を負った天龍戦は、長いレスラーキャリアを誇る藤波の〝藤波史〟に、さんぜんと輝く激闘だったのは間違いない(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













