見出しのセリフが飛び出したのは、今から38年前の1987年(昭和62年)10月6日、札幌・月寒グリーンドーム行われた新旧世代闘争の5対5イリミネーションマッチのPART3だった。

 ニューリーダー軍は藤波辰巳(現・辰爾)、長州力、前田日明、スーパー・ストロング・マシン、木村健吾(後の健悟)のフルメンバー。対するナウリーダー軍は坂口征二、藤原喜明、第3世代の武藤敬司、ジョージ高野、高田延彦が組み込まれ、連合軍を結成した。

 武藤は世代抗争の第1R、8月19日の「サマーナイトフィーバー」でマサ斎藤に代わり、すでに旧世代軍入りしていたが、ジョージと高田は猪木と斎藤に代わってメンバー入りした。

 アントニオ猪木とマサ斎藤は2日前の10月4日、「巌流島決戦」で対戦。2時間5分14秒の死闘の末、斎藤の戦意喪失によりTKOで猪木が勝利した。しかし、猪木が右肩甲骨剥離骨折、斎藤は胸骨剣状突起骨折の代償を負ってシリーズを欠場していた。

 試合は立ち上がりに坂口が前田を追い込み、リングアウトで先勝。しかし、あとは新世代の攻めになすべがなかった。マシンが、高田を魔神風車固めに決めてタイに持ち込むと、エプロンにエスケープした坂口を、藤波が長州と健吾の加勢を得て場外に蹴り落とした。

 さらに武藤の月面水爆をヒザで迎撃して首固めでフォール。木村はジョージに稲妻レッグラリアート、長州が藤原にリキラリアートを決めてピンフォールを奪い、試合を終わらせた。新世代が4人残りで完全勝利を収めたのだった。終わってみれば戦力差がありすぎた(写真)。

 試合後、藤波が冒頭のセリフを叫んだのは、会場入りしていた猪木に向けてのものだった。

 囲み会見では「猪木さんたちが俺たちと戦いたいと言うなら、いつでも受けてやるよ。猪木さんが復帰したら全力で叩きつぶす」と強気に語ったが「ただ、猪木さんを倒すことと、世代を交代させることは次元が違う」と打ち明けた。長州は「話にならねぇな」とひと言。藤原は「バカバカしくなってきた。もうやめ」と吐き捨てた。

坂口(手前)を場外に蹴り落とす藤波、長州、木村健(1987年10月、北海道・月寒グリーンドーム)
坂口(手前)を場外に蹴り落とす藤波、長州、木村健(1987年10月、北海道・月寒グリーンドーム)

 長州が6月12日の両国で「藤波、前田! お前たちはかみつかないのか! 今しかないぞ、俺たちがやるのは!」と名ゼリフを叫び、猪木が「テメェら、その気で来るなら、俺は受けてやるぜ。テメェらの力で勝ち取ってみろ!」とIWGPのベルトを掲げて応戦して始まった世代闘争だったが、猪木の出ない戦いに皆、やる気が失せていた。

 猪木は「巌流島で試合をしたい」と斎藤との巌流島対決をぶち上げ、世代抗争終結は既成事実だった。

 10月19日の静岡・富士大会の猪木の復帰第1戦(パートナーは若手・山田恵一)でタッグを組んだ藤波と長州は、最後に仲間割れを展開。試合後、長州は「世代闘争は終わりだ。もう藤波、アキラ(前田)とは共闘しない」と完全終了を宣言した。

 6月に「誰が強いか一番強いんか、決まるまでやりゃいいんだよ」とマイクアピールしていた前田は「長州は〝言うだけ番長〟だ」とバッサリ。後の〝顔面蹴撃〟事件へとつながっていく。

 前田は当時を振り返り「(月寒大会で退場第1号となったことは)大丈夫じゃないかと思ったんだよね。で、自分から場外にエスケープしたら、ダメだってわかって、『ウワー』ってなった。(藤波の発言は)覚えてないなぁ。記憶にないね」と語る。

 そして「世代交代とか言うんだったら、みんなに光が当たるようにしてやらなきゃいけない。それが(長州は)自分ばっかりスタンドプレーで、自分勝手に自分のことだけ言ってて。オレが目立って、自分に光が当たらないから、それがつまんなくて嫌だから、イチ抜けたって。なんだそれって。それを『みんなのためにもくろんだ』って言うんじゃないって。『だからお前は〝言うだけ番長〟なんだ』って言ってやったんだよ」と当時の心境を明かした。

 世代闘争はテレビ朝日が提案した企画だったと言われる。猪木はハナからトップを譲る気はサラサラなく、新世代軍も一枚岩でなくなっては、たった4か月で終了するのも無理がなかった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る