【プロレス蔵出し写真館】「超・燃える闘魂 アントニオ猪木展」が仙台市内の百貨店で開催中だ。
昨年に続く開催で、目を引くのは1960年(昭和35年)のデビュー戦から1998年(平成10年)の引退試合まで、海外での試合を含む全4820試合の記録年表だ。日時や場所、対戦相手との試合時間と結果が網羅されている。
年表に、アントニオ猪木になる前のリングネームが「猪木完至」と記されている。本名の「猪木寛至」だと思われがちだが、実は「猪木完至」だ。
新日本プロレスを創設して絶対的なエースだった猪木が、藤波辰巳(現・辰爾)にピンフォール負けを喫したのは、ここ仙台だった。猪木が日本人レスラーに初めて許したフォール負けだった。
今から39年前の85年(昭和60年)12月12日、仙台の宮城県スポーツセンターで行われたIWGPタッグリーグ優勝決定戦は、日本プロレス史に刻まれる事件も誘発した。
この日、予選リーグ同率2位の猪木&坂口征二組と藤波&木村健吾(後に健悟)組が対戦し、1位通過のブルーザー・ブロディ&ジミー・スヌーカ組と優勝を争う予定だった。
前日の東京・福生大会で行われた坂口とブロディのシングルマッチで、スヌーカも加わっての攻撃を受けた坂口は、左ヒザを負傷してしまう。ドス黒く腫れ上がってしまった。
出場が危ぶまれたが、坂口は強行出場を決意する。
ところでブロディは当日、上野駅から仙台へ向かう11時発の新幹線「やまびこ49号」の発車間際、レフェリーのミスター高橋と言い争いを起こし下車してしまう。スヌーカはブロディに従った。
ブロディの「ドタキャン事件」としてあまりにも有名な事件。結局、優勝は猪木組と藤波組で争うことに決定した。
この年の8月3日、猪木とブロディの4度目のシングル対決がハワイ・ホノルルで実現。翌4日に市内を一望できるタンタラスの丘に連れ出して独占取材した際、タッグリーグ戦に出場が決まっていたブロディは自信満々に「優勝するのはオレたち」と語っていた。
それを聞いていただけに〝ドタキャン〟したのは信じられなかった。
さて、優勝決定戦は31分53秒の熱戦となった。藤波が猪木に卍固めを決め、ふりほどいた猪木の背後に回りドラゴンスープレックス一閃。カウント3が数えられると、〝まさか〟の猪木フォール負けに館内から大歓声が湧き起こった。
「やった!」と手を上げる藤波を背に、猪木は〝しまった〟という表情(写真)。
藤波は「まさかと思った。猪木さんからピンフォールを奪うなんて神業だからね」と語っていたが、のちに東スポの連載で「勝って右手を突き上げたんだけど…。その時、ふと猪木さんの表情を見たら『ニヤッ』って笑っていたんだよ。あとになって、あれはもしかしたら猪木さんの手のひらの上なのかなと思うようになった。要するにあえて自分が負けることでインパクトを与えて、ブロディの離脱というマイナスの話題をかき消そうとしたんじゃないのかな」と振り返っている。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













