【プロレス蔵出し写真館】〝炎の飛龍〟藤波辰爾がプロレス生活50年を振り返り、対戦した外国人レスラーで「最高」と絶賛したのは〝狂犬〟ディック・マードックだった。場外乱闘から戻る際に、互いのタイツをつかんで尻を出す〝お約束〟の場面は大いに会場を沸かせた。そして、藤波の名人芸はマードックのカーフブランディング(仔牛の焼き印押し)を食らうシーン。まさに絶品だ。
今から34年前の1988年(昭和63年)3月15日、茨城・笠間市体育館で行われた2人のシングル対戦では、絶妙なやり取りを目撃した。
立て板に水の攻防が続き、藤波はマードックに回転エビ固めを決めた。しかし、カウントを数えるタイガー服部レフェリーは不在。直前に藤波と激突してエプロンで倒れていたのだ。藤波はその後、首固めを決めると、ようやく起き上がった服部は藤波の体をポンポンと叩き、9分41秒、反則負けを宣告した。藤波が激突した時点で、突き飛ばされたと判断し、これを反則行為と受け取ったようだ。
藤波は抗議したが、判定は覆らず。怒った藤波は服部にボディースラムを見舞って、なぜかフォールの体勢。すると〝レフェリー〟マードックが3カウントを数え(写真)、藤波の左手を上げ勝利をアピール。阿吽の呼吸だった。
この88年は藤波にとってエポックメーキングとなった「飛龍革命」(4月22日、沖縄・那覇市奥武山体育館)が勃発している。
さて、数日前、プロレス界に激震が走る(?)藤波のニュースがネットを賑わせた。9月10日に放送されるNHK総合「1オクターブ上の音楽会」で、85年11月にレコードとして発売した「マッチョ・ドラゴン」を披露するという。
以前、船木誠勝が自身のユーチューブチャンネルで、「マッチョ・ドラゴン」のエピソードを語っていた。
藤波の付け人だった船木は、この曲のカセットテープを買い合宿所の自室で聞いていると、橋本真也がたいそう気に入り、道場でカセットデッキでエンドレスで流し、個人練習や深夜練習に励んでいた。ある日、藤波も参加した合同練習でドン荒川がデッキを再生させると、この曲が流れ始めた。その瞬間、藤波は無表情でカセットテープを取り出し粉々にしてしまったという。
船木が、藤波が怒ったのを見たのは後にも先にも、この時1回だけだったと明かしていた。
ところで、藤波がレコードを出したのは「マッチョ・ドラゴン」が初めてではない。81年3月3日、東京・麻布でLP「藤波辰巳/歌の世界」(日本フォノグラム、この時はまだ仮題)のレコーディングを行っていた。すべてオリジナル曲で中山大三郎、千家和也、山本正之、森田公一など売れっ子作家が作詞、作曲を担当した。藤波は「命火」「勇者よ」「GoGoドラゴン」「戦いの後で」など6曲を吹き込んだ。
このレコーディングの企画が持ち込まれたのは、藤波が意外な歌唱力の持ち主であることがわかったからだという。藤波は試合のオフにボイストレーニングにも通ったと告白した。
その藤波の歌唱力が、NHKという公共放送で証明される。この曲を知っているオールドファンにとって、驚天動地の大事件。阿鼻叫喚の世界だ。若年層のファンは事前にユーチューブなどで曲を確認せず、直接、放送を楽しむことをお勧めする。その方が楽しめること間違いない(敬称略)。












