【昭和~平成スター列伝】11月7日、都内でプロフェッショナルレスリング藤原組の旗揚げ35周年記念イベントが開催される。77歳となった“組長”藤原喜明のもとに船木誠勝、鈴木みのる、冨宅飛駈、高橋義生ら旗揚げ当時のメンバーが集結する。

 藤原組を語る上では、藤原と旧UWF(ユニバーサル・プロレス)の関わりが外せない。

 1984年6月27日、藤原は高田伸彦(後の延彦)とともに、新日本プロレスを離脱してUWFに移籍した。すぐに引退していた初代タイガーマスクこと佐山サトルが、ザ・タイガーと名を変えてUWFで復帰。9月に木戸修も入団すると、新日道場で繰り返していたスパーリングを土台に、キックを取り入れた独自の試合スタイルが確立されていく。

 派手なロープワークも、観客を意識した大技の応酬もない。打撃と関節技を軸にした緊張感あふれる攻防は、従来のプロレスとは明らかに異質だった。それが熱狂的ファンを生んだ。

佐山(右)の猛攻を受ける藤原
佐山(右)の猛攻を受ける藤原

 しかし、様々な問題が噴出し、85年9月11日の後楽園大会が最後の大会となった。観衆は2349人(超満員)。館内を異様な熱気が包み込んでいた。メインイベントは藤原VSスーパー・タイガー(佐山)の公式リーグ戦だ。

「藤原の関節技、佐山のキックが真っ向からぶつかる。いきおい試合はエキサイトしたものとなった。キックで5度のダウンを喫した藤原は13分過ぎ、禁じ手の頭突きを2発、3発と見舞った(※ルールで頭突きは反則)。これに佐山も我を忘れ頭突きで対抗。だが、反則行為も気にならないほど、ムードは盛り上がっていた。ヘトヘトに疲れた両者。こうなると寝ワザに勝る藤原が有利だ。バックを取ろうとした佐山のワキ腹にヒジ打ちを叩き込み、そのままワキ固めにガッチリ。ついに佐山はロープに逃れるすべを失い、またしても藤原のマムシの執念の前に敗れた」(抜粋)

 5戦全勝で2シリーズ連続優勝を果たした藤原は、優勝の栄誉などどこ吹く風だった。

「いいよ。オレは。優勝なんかしなくたって。年寄りだしスターじゃないし、前座がいいんだよ。若い奴が優勝すべきなんだ。オレはシューティングなんて言葉はあまり好きじゃないんだ。オレのやってるのはプロフェッショナルレスリング。これから会社がどんなことになっても、オレはプロレスを続けていくよ。どこででもね」

 勝っても浮かれず、時代の流行にも迎合しない。自分が信じるプロレスをただひたすら貫く、いかにも藤原らしい言葉だった。

 さて、独自の興行ができなくなったUWFは新日プロと業務提携へとかじを切る。89年に藤原は新日プロから新生UWFに参戦するも、翌90年に選手サイドとフロントの対立が勃発して修復が困難となったUWFは、12月1日の長野・松本大会を最後に活動を停止する。それにより3派に分裂。藤原組はUWFインターナショナル、リングスよりもいち早く91年3月4日の後楽園ホールで旗揚げされた。

 ところで、藤原はイベントに向け師、カール・ゴッチの言葉を改めて口にする。

「人は誰でも年を取る。でも、年寄りになる必要はない」

 77歳の“関節技の鬼”に、これほど似合う言葉もない。藤原喜明は、いくつになってもプロフェッショナルレスリングの求道者であり続ける。