【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(6)】1984年4月、新日本プロレスに入門した。同期の武藤(敬司)さん、橋本(真也)選手は柔道経験者なので少しずつスパーリングに入り、先輩の相手を務めていた。俺は相手にならないから、リングに上げてもらえない。何か月かして試しに上げられると、プロレスの「プ」の字も知らない段階だからヒーヒー言って何もできない。もうとにかく「次はどうなるんだろう」って気持ちだったな。
そんなある日の練習後、藤原(喜明)さんが道場近くの多摩川の河川敷に新弟子5、6人を集めた。「自分は雑誌とか新聞で話題になっている(第1次)UWFに移籍する」との報告だった。「何でそんなことを俺らに言うんだろう」と思ったけど、要は勧誘だった。一緒に行くヤツがいたら、ついてこいと。でも俺は藤原さんがいなくなるから「これで練習が楽になる」と思っただけ(笑い)。結局、それで誰も手を挙げなかったんだ。
似たようなことはこの後すぐにもあった。84年9月に、長州力さんら維新軍が新日本を離脱する。道場の俺らからは全く見えていなかったが、会社はそれを察知していた。そうなると急に俺ら新人の扱いが良くなった(笑い)。シリーズの合間に箱根やサイパンで行われた合宿に新弟子の俺らが行ってるんだよ。
入門したての頃の社員旅行の話。行き先は「ハワイだ」と言われて「すげえや、俺らも行けんの?」と喜んでいたら、バスが着いたのは「常磐ハワイアンセンター(現スパリゾートハワイアンズ)」。そういう冗談レベルなのだろうと思っていたら、本当にサイパン合宿だった。
長州さんたち維新軍の前には前田(日明)さん、高田(延彦)さんが抜けたし(初代)タイガーマスクも辞めていた。次のスターの担い手がいなくなった上に、会社には藤原さんが俺らを勧誘した情報も入っていたんじゃないかな。今度はどこで若い選手が引き抜かれるか分からない。それで引き抜き阻止のためサイパンで合同練習となったのだろうな。
サイパンでは副社長の坂口(征二)さんが自らバーベキューを振る舞ってくれた。でもやっぱり新弟子だから、近くの日本レストランで大食い大会をやらされたな。ラーメン5人前の早食い大会もしたし、みんな食べた後にトイレで全部戻していた。確か…大食い大会の優勝は橋本選手かな。そんな楽なことばかりだったよ。
その橋本選手とは入寮初日に洗濯機の順番を巡ってモメたんだ。橋本選手は当時からルール、マナーは少しぐらい無視しても前に出るっていうタイプ。俺は最低限のマナーは気にする方だから、そこの違いがあるけど、橋本選手にはその後もいろいろ巻き込まれていくんだよ。













