【闘魂三銃士、nWo…激闘の舞台裏 蝶野正洋自伝 黒の真実(1)】アイ・アム・チョーノ! 蝶野正洋(63)がキャリアを振り返る連載「黒の真実」がスタート。新日本プロレスの「闘魂三銃士」から伝説ユニット「nWoジャパン」のリーダーとなり、日本中に大ブームを巻き起こした。リング外では新日本の取締役に就任し、団体運営を巡る権謀術数にも身を置くなど、マット界の中心を練り歩いてきた。還暦を過ぎた今だからこそ明かせる“黒い半生”とは――。
ガァァッデム! 蝶野だ。最初に言っておくが、俺の人生を振り返っても50の時と60の時では印象が違うんだ。前に話していたことと違っていてもそこは勘弁してくれ。
うちはもともと、おやじもおふくろも愛媛県出身なんだ。おやじは九州大卒なんだが、その感覚は戦前、戦中育ちの人だった。俺がケンカで警察のお世話になった時も「誰が最初に手を出したんだ?」って聞くので「俺です」と答えると「それならいい」と言うような人だ。
無免許運転でお巡りさんのお世話になった時も、交番に来て「お前、何で逃げなかったんだ?」と。さすがの俺も「エッ?」と思ったけど、昔の人は今の人と感覚が違ったんだよね。おやじの口癖も「人を信用するな」。海外とも商売してきたので、信用できるものは何もないぞ、ということだった。逆におふくろは医者の家系でお嬢さまだったから「困った人がいたら助けなさい」と教えられた。だけど…両親で言ってることが真逆なんだよな(笑い)。
おやじの仕事の関係で、シアトルで生まれたんだが、2歳半の時に日本へ戻ってきた。日本で一番初めに覚えていることは、社宅の友達を泣かして、2つ上のお兄ちゃんに裏山に呼び出され、そこで俺がやり返して、逆に2人とも泣かしたってことだな。今思うと、当時の俺は、日本語も日本のしきたりも分からず、劣等感、差別されてる感がどこかにあったかもしれない。
6つ上に兄貴がいる。兄貴は高校生だった頃に、おやじから新聞のコラムを英訳させられていたんだ。俺は「無理だ…」と思ったよ。そんな兄貴だったから普段から相手にしてもらえない。ある時、兄貴の教科書を目の前でビリビリに破いたことがあるんだけど、その時もまったく怒らなかったんだ。「これは次元が違うな」って。その時から兄弟ケンカはしていない。おやじと兄貴は今も尊敬しているよ。
そして俺はワルの道に入ってしまう。三多摩地区に引っ越したんだが、当時は相当ヤバい話もあったのに、おふくろたちは何も知らなくて、初めてのマイホームを購入したんだ。まあ、そこには悪いヤツらしかいなくてね。その頃の先輩に何年かたって会ったんだけど「お前の家は風呂はあったのか?」と聞かれて「はい」と答えたんだよ。そうしたら「俺の団地はシャワーもないから、ベランダで水、かぶってたんだよ」だってさ。ワルになるっていうのは、環境的なものが影響しているんじゃないかな。













