【プロレス蔵出し写真館】三沢光晴の試合後の控室、いつもの光景を目にすると、思わず顔をしかめてしまう。
マットの上に寝て数人に両足に乗ってもらい、マットがズレないように両サイドにも人を立たせる。首にタオルを巻いて詰まった首を引っぱる荒療治だ(写真)。
これは、今から30年前、1996年(平成8年)4月5日、大分の荷揚町体育館。全日本プロレス春の祭典「チャンピオン・カーニバル」公式戦の三沢 vs スタン・ハンセン戦後のひとコマ。
新日本プロレスでも、80年代前半にアントニオ猪木が栗栖正伸にタオルを引いてもらっていた。猪木は信頼する選手にだけ首を〝抜いて〟もらっていた。
さて、三沢は前年に田上明を破り悲願の初優勝を果たし、3冠王者として連覇を狙っていた。試合を押し気味に進めていたが、15分過ぎに座った状態で後頭部にラリアートを食らった。ハンセンにパワーボムで追い打ちをかけられ、ウエスタンラリアートを食らいピンフォール負けを喫した。
首を抜いてもらった三沢は、なんとか口を開き「頭がガンガンする」と放心状態。前日には腰も痛めつらそうだ。得点首位に立つゲーリー・オブライトとは、3点も引き離された。
14日、仙台大会の川田利明との対戦では、スピンキックを食らってアゴ下が切れて出血。6針を縫うケガを負ってしまう。結果は時間切れ引き分けに終わり、川田は失点7でV逸が決定。三沢も失点6で厳しい状況となってしまう。
得点の差でV逸が決定した16日(山形・酒田)、三沢はメインイベントで6人タッグに出場した。試合後の三沢は憤っていた。ワケを聞くと一部の心ないファンからの手紙だという。
「3冠王者のくせに負けやがって!」「勝てよテメー!」という内容だったという。
三沢は「知り合いとか、昔の恩師に言われるならともかく、知りもしない奴にエラそうなこと言われたくないよね」。腹を立てていた。ファンレターには必ず目を通していた三沢は「こういうこと書いてくる人はたいてい名前が書いてない」とニガ虫をかみつぶしていた。
4月20日、日本武道館の決勝に進出したのは田上明とスティーブ・ウィリアムスだった。田上は前年、三沢に敗れ準優勝に終わっていた。この日はウィリアムスにノド輪落としを決めて初優勝を飾った。田上はこの後、5月24日(札幌)に三沢から初勝利を挙げて3冠王座を奪取。さらに世界タッグ王座も獲得し、世界最強タッグ決定リーグ戦までも優勝してグランドスラムを達成している。
和田京平レフェリーが当時を振り返った。
「(三沢へのファンからの手紙)それは三沢の愚痴でしょ。遠回しに馬場さんに対してそういう言い方をしたんじゃないかな」と意味深に語る。
「三沢は感じてなかったかもしれないけど、オレが見抜いてたのは田上の底力。大きさが違うし普通のナチュラルな体で秘めた力があった。確かに練習はしなかったけど、相撲で鍛え上げたモノってすごかった」
「三沢に『あの田上の(断崖)ノド輪落とし、あれはすごかったな』って言ったら、あの三沢が『二度と食いたくない』って言ったもんね。『京平ちゃん、オレ死ぬかと思ったのが田上のノド輪落としだから』って話したことあるよ。よく誰が強かったですかって聞かれる。『ジャンボ(鶴田)だと普通でしょ。玉(田上の愛称)さんかな』って答えるよ。ただ鬼にはなれなかったよね。川田みたいにがむしゃらなとこがあればきっと毎回(断崖)ノド輪落としをやってた。でもみんなが怖がるからやらなかった。田上の人の良さ。もっと鬼になればチャンピオンになれた。ジャンボに追いついたレスラーは田上だと思うんだけど、なんせなまくらだった(笑い)」
四天王によるリーグ戦のCカーニバルは毎年シ烈を極めた。翌97年は三沢、川田、小橋健太(後の建太)による史上初の巴戦となった。三沢は小橋と30分時間切れ引き分けに終わった後、川田のパワーボムでまさかのフォール負け。小橋にも勝った川田が3年ぶりに2度目の優勝を果たした。
常に満身創痍で戦っていた三沢が2度目の戴冠を果たすのは98年のこと。残念ながら田上の2度目の優勝はなかった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













