【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(3)】 高校3年の年末に押尾川部屋に入門し、1980年1月の初場所で初土俵を踏みました。でも次の3月場所は左足をケガして休場したので、5月場所で2回目の前相撲をやらされたんだ。
部屋での生活はそりゃもう大変だよ。掃除も洗濯も今までおふくろがやってくれていたけど、全部自分でやんなきゃじゃん。おまけに金はねえしさ。下っ端のころは2か月ごとに出る給金が5万~6万だよ? まあ大変な商売だよね。プライバシーはないし、夏は暑くて冬は寒い。親方もケチだからクーラーもストーブもなかったからね。
1年で三段目、そこから8場所で幕下まで来たけど、そこから長くて十両に上がれたのは86年の5月場所。しこ名も「田上」から「玉麒麟安正」に変わった。
そこからは幕下と十両を行ったり来たり。親方にデートしたのがバレてとんでもない“せっかん”を食らったこともあったよ。大阪場所の時、名古屋のお姉ちゃんに会いに行ったら、たまたま東京から大阪に向かっていた親方に見つかって…。そのまま一緒の新幹線に乗って宿舎まで連行されてさ、その場所は外出禁止だもん。でも、そこで十両に上がったもんだから親方は「ほらみろ、俺のおかげだ」って威張っていた。「外出禁止にならないでも上がっとったわ!」って思ったね。
横綱を目指して頑張ってたんだけど、87年の5月場所前の稽古中、親方に竹刀でぶっ叩かれて左腕が使い物にならなくなっちゃった。それで、その場所は負け越しちゃったんだ。頭に来たね。「なんでそんなことされなきゃいけないんだ。やってられねえ」って部屋を飛び出して、今のおっかあ(清美夫人)の部屋に転がり込んだ。おっかあとは幕下ぐらいの時に今でいう合コンで出会っていたんだ。親方も連れ戻しに来たんだけど、その時に「お前が名古屋の女か」なんて言うもんだから、おっかあに名古屋で遊んでるってバレて叱られちゃったよ。
親方に慰留されたけど気持ちはまったく変わらなかったね。「トラックの運転手にでもなるか」って時に、相撲部屋によく出入りしていた落語家の楽ちゃん(※)が「体があるんだから(ジャイアント)馬場さんを紹介してやる」って。楽ちゃんと馬場さんは麻雀仲間だったんじゃないかな。
それでキャピトル東急ホテルで馬場さんに会うことになったんだ。その時の印象は「顔、でけえ」ってのが一番。親方とは「ずいぶん違って温かみのある人だな」って思った。いきなりヘッドロックされて「プロレスは痛いよ」ってね。それで「○日から合宿所に来いよ」って言われた。こうして相撲取りからプロレスの世界に足を踏み入れたんだ。
※三遊亭楽太郎、後の6代目三遊亭円楽













