【プロレス蔵出し写真館】今から45年前の1981年(昭和56年)5月7日、新宿の京王プラザホテルで開催された新日本プロレスの「第4回MS・Gシリーズ」前夜祭にタイガーマスクが登場した。

 初代タイガーマスク(佐山サトル)は4月23日、蔵前国技館に電撃登場してダイナマイト・キッドとの対戦で衝撃を巻き起こした。この日の会見にはニューマスクで臨み、劇画「タイガーマスク」の原作者、梶原一騎氏と会見を行った(写真)。

 梶原氏は「私が劇画で描いてきたタイガーのイメージにより近いレスラーだ。キックの要素もあるし、空手の心得もあるようだ。それにメキシコ流のアクロバチックなレスリングもできるという多彩さで、私としては満足している」と絶賛した。

 タイガーはニューマスクで斎藤弘幸(後のヒロ斉藤)とエキシビションマッチを行った。

 さて、蜜月だった梶原氏と新日プロの関係に突如、亀裂が入る事件が発生する。

 梶原氏が傷害容疑で逮捕されたのだ。

「巨人の星」「あしたのジョー」「空手バカ一代」「愛と誠」などヒット作を次々と生み出していた梶原氏の逮捕は世間を驚かせた。

 83年5月25日の朝6時半、梶原氏は千代田区永田町にあった事務所から警視庁・愛宕署捜査員に任意同行を求められ、午前8時半過ぎに逮捕された。

 梶原氏は4月14日、銀座のクラブ「S」で講談社「少年マガジン」の副編集長Iさんを酔った上殴り、さらに足で顔を踏みつけ全治1か月の大ケガを負わせた。他にも前年3月にクラブのホステスを食事に誘い、断られたことに怒り、暴行を加えたという。ある編集者は「担当編集者は皆、一度は殴られてますよ」と明かした。警察の狙いは覚醒剤常習容疑だったという。

 さらに、余罪として明るみに出たのが、アントニオ猪木と新間寿営業本部長を監禁して脅迫したという驚きの事実だった。

 82年9月21日、大阪府立体育会館で猪木はラッシャー木村とヘア・ベンド・マッチ(敗者が髪の毛を切られる)を行った。負けた木村が髪を切らずに逃走して、観客は激怒。暴動寸前となった。新間氏がリングの中に持ち込まれたイスに座り、責任を取り坊主頭になることを願い出て、その場を収めた。

場外フェンスに逆さ吊りにされ髪の毛を切られた猪木(1982年9月、大阪)
場外フェンスに逆さ吊りにされ髪の毛を切られた猪木(1982年9月、大阪)

 その日の試合後、梶原氏は猪木と新間氏を大阪ロイヤルホテルの一室に呼びつけた。部屋には〝堅気〟ではない面々と空手家もいたという。その中の一人が「お前たちを〝やる〟ぐらいわけないんや」と脅し、4時間近くも拘束したといわれる事件だった。

 梶原氏の言い分は、自分に相談もなく勝手に新しい空手団体「寛水流」(猪木が水谷征夫氏と起こした空手の流派)を作ったこと。梶原氏は極真会館と親密で、自らも有段者だった。

 そして大ブームを巻き起こしたタイガーマスクの方向性や利権を巡って、新日側と距離が生まれたことも起因していた。

 逮捕された日に会見した新間氏は「昨年9月22日にウチも被害届を出している。その後は梶原さんとは全く関係ない。ただウチのタイガーマスクへの影響も考えられるので、明日役員会を開いて対応を決めたい」と話した。

 結局、タイガーマスクのリングネーム変更が決まり、一般公募が決まった。しかし、8月にタイガーマスクが突如、新日プロを辞めて引退してしまったため実現はしなかった(※その後、旧UWFで復帰)。

 当時を知る関係者はこう明かす。

「逮捕後、何かで話題になったときに、猪木さんは『監禁なんかされてない。オレはもう眠いから帰って来た。新間を置いて』って笑って話してた。(部屋に)暴力団員がいて、梶原に『こいつは人を何人も〝やってる〟んだよ』って言われたと。そうやって脅したつもりでいたんだろうけど、猪木さんは何ともなかったみたい(動じなかった)」

 猪木は無言で立ち上がり、そのまま部屋を出て行ったという。後に猪木は「あのとき、ホテルの廊下を『後ろから襲われるかもしれないな』と考えながら歩いたことが印象に残ってますね」と振り返っている。

「猪木さんは部屋を出る時、『待て』とか言われるのかなと思ったらしい。何も言わず黙ってるから『オレはそのま黙って帰って来た』って。(梶原は)寛水流もそうだけど、タイガーマスクはオレのおかげでこんなに(大人気に)なったのに…。そういうのがあったみたいだね。寛水流の水谷さんも新日の事務所に、『梶原サイドから脅されて参ってる。なんとかならないか』なんて電話してきたこともあったらしいね」

 梶原氏は逮捕されたことで、連載の打ち切りや単行本が絶版へと追い込まれた。

 後に新間氏は自著で、猪木が自分を置いて部屋を出て行ったことに落胆し、「あれは猪木監禁事件じゃなく〝新間監禁事件〟だった」と記している(事件発生の日を83年2月と記述しているのは記憶違いだろう)。

 前出の関係者は「だから監禁とかじゃないと思いますよ。新間さんが大げさに騒いでただけでしょ。猪木さんがすごいと思ったのは、梶原たちのことを悪く言わないんだよね。一切、中傷するようなことは言わなかった」と語る。

 ところで85年4月に東スポの企画ものインタビューを受けた梶原氏は「本当のことを言ったら、私が自分で悪いことをしたと思ってるのは編集者を殴ったことだけだ。あとは世間がつけた尾ひれ。だが弁解はせん。過去は過去、私は悪人にされてもいい」と語った。

 当事者は鬼籍に入り、真相は不明だ(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る