【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証言(1)】全日本プロレスで「四天王」と呼ばれた田上明の新連載「王道の証言」がスタート。1990年代に〝田上火山〟とも称される爆発力と192センチという恵まれた体格を生かした必殺の「喉輪落とし」を武器に全日本マットを席巻し、団体の黄金時代を築き上げる一翼を担った。さまざまな出会いと別れ、出生から現在に至るまで波瀾万丈な半生を振り返った。

全日本マットを席巻した〝田上火山〟田上明
全日本マットを席巻した〝田上火山〟田上明

 1961年5月8日、埼玉県秩父市で生まれたんだ。親父は大工で、おふくろは生命保険のおばさんとか、いろいろな仕事をやっていたっけな。3人きょうだいの長男で、6つ下の弟の昇と10歳下の妹に友美がいてね。小さい頃はその辺にいるようなクソガキだったね。山で遊んだり川で遊んだりする野生児。田んぼで山菜を採ってたらおふくろがよく天ぷらにしてくれたのが思い出だな。

 体格は同級生では一番大きくて、まあ、ガキ大将て言えばガキ大将だな。ケンカも強かったからいじめられたことはないよ。学校ではソフトボールの会に入ってたよ。

 プロレスはテレビで見るぐらいで、俺は全日本派。ジャイアント馬場さんの方が好きだったね。なんでかわかんないけど何となく面白かった。友達とのプロレスごっこでは馬場さんの役をやることも多かったね。「あっぱー」ってチョップしてさ。20年たったら本人から「あっぱー」ってやられちゃうんだから面白いよな。

 小学校の4年か5年からは、親戚のおじさんがやってる柔道の町道場に入れられた。「飯食いに連れて行ってやる」なんて言われて、そのまんま道場に連れて行かれて通うようになってね。中学でも続けて、中3の時に県大会で準優勝。得意技は背が高かったから、払い腰と内股。初段までしか取れなかったけど、二段級の腕前はあったと自負してるよ。

 柔道での経験はその後にも生きてる。プロレスでも受け身っていうのは柔道と似たようなもんだから。中学では野球部にも入ってたから、野球の練習が終わって夜は道場に行くのが、疲れちゃってやってられんかったな(笑い)。勉強はまあ人並み。頭が良くもなければそんなにバカでもなかった。今でも中学校の同級生がたまに店に遊びに来るけど、えらいジジイやババアになっちゃって…。俺もそうだけど、時の流れを感じるよ。

 高校は埼玉県立秩父農工高等学校(現・埼玉県立秩父農工科学高等学校)に進学した。田舎だから、地元の高校に行くのが当たり前みたいな感じだったし、飯がたくさん食えそうだったから食品科学科を選んだんだ。

 部活は全国大会に行けるようなところが良くて、うちの高校だったら陸上部か相撲部が強かった。「走るのは嫌だな」って思っていたところ、相撲部の監督が「ウチならいろんな場所に行けるからいいよ」って。それが殺し文句だったね。「じゃあちょっとやってみようかな」と相撲の世界に足を踏み入れたんだ。

 その当時、将来の夢とか進路は何にも考えてなかったな。ましてプロレスラーになるなんて夢にも思ってなかったよ。

 

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