【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(2)】1977年4月、地元の埼玉県立秩父農工高等学校(現・埼玉県立秩父農工科学高等学校)に進学し、全国大会にも出場していた相撲部に入部した。最初はパンツ脱いでまわしになるのが恥ずかしくて嫌だったな。後々にはもう慣れちゃったけどね。この当時、体重は70キロくらい。身長は180センチぐらいだったんじゃないかな。相当ガリガリだったよね。
先輩は熊みたいに大きくて、おっかない人ばっかり。でも1年生からレギュラーで2年生では、もう負けることはなかった。相撲のスタイルは右四つ、左の上手を取る四つ相撲。まわしを取らないと勝負にならなかった。1年から3年までずっとインターハイと国体には出ていて2年生の時に準優勝したのが最高成績。1人だけ勝てない“とっつぁん坊や”みたいなやつがいて、そいつに負けちゃったな。
高校時代は、ふざけたことばっかりやってたな。ある時、友達の弁当をこっそり食っちゃったりしてさ。そうしたら仕返しで、俺の昼飯を食われた上で、空になった弁当箱の中にヘビが入ってたんだよ。オレはヘビが大嫌いだから、あれはきつかったね。
スポーツ選手だから不良ではなかったけど、うちの高校の番長に廊下で因縁つけられたことがあったな。胸ぐらをつかんできたから頭突きを一発かましてやったら、そいつのびちゃったの。それが悔しいって、13人の手下を引き連れてカチコミをかけられたんだよ。
4階の奥で、逃げ場がないから「やるっきゃねえ!」ってなってもうボコボコに暴れたよ。先生が駆けつけて終わったけど、格闘技で全国行ってるんだから、その辺にいる木っ端の番長なんか相手にならなかったな。でも2週間の停学で向こうは無期停学だった。だけど、なぜか学校に出てきた時は一緒だったな。
3年生にもなると、相撲部屋からの誘いも何件かあった。押尾川、花籠…、あとは忘れちゃったな。監督に押尾川部屋の合宿に連れていかれてたから、そこの部屋に入ると決まってるような目でみんな見るんだよ。
本当のことを言うとあんまり大相撲に行きたくなかったんだよ。合宿に行って厳しいのは知ってるから。親父は何も言わなかったけど、おふくろが「明、親孝行だと思って行け!」なんて言いやがって…。そういうふうに言われたら行くしかないよ。おふくろは下っ端でやってる時は年中、見に来てくれたね。
初土俵を踏んだのは80年の1月場所。高校3年生の3学期、卒業前に押尾川部屋に入門することになった。この時は、体重77キロの身長186センチ。そこから24歳になるまで毎年1センチずつ伸びてったから「俺、ジャイアント馬場になっちゃうんじゃねえか」って思ってたね。













