【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(10)】全日本プロレスで「四天王」って呼ばれ出すようになって迎えた1995年4月のチャンピオン・カーニバルは、優勝決定戦で三沢(光晴)に負けたんだ。
その次は9月に3冠戦で挑戦したんだけど、まあ、また負けた。三沢みたいなタイプは苦手なんだよな、切り返してくる人。喉輪にいったらクルンって回られちゃったりして…気が抜けちゃうよ。タッグの時とシングルの時も戦った印象は変わらないよね。彼の方がキャリアも上だし、ベルトも取ってたりで先に行ってる。超えなきゃいけない相手だと思ってたよ。
96年はいい年だったね。強かった。まずはチャンピオン・カーニバル優勝。詳しくは覚えてないけど(スティーブ)ウィリアムスに勝った。「よくこんなゴリラに勝ったな」って。俺の手をパーに開くポーズが生まれたのもこの時だな。優勝した写真撮影の時「こっち、こっち」ってカメラマンが手を振るじゃない。あれを「手を開け」って意味だと思ったんだよね。カメラマンは「そうじゃねえ、こっち向け!」って笑ってたよ。
そして、三沢から3冠を取るんだけど、札幌(5月24日、札幌中島体育センター)じゃなかったかな。よく勝ったよ。最後の喉輪落としは狙ってたんだよ。一回トップロープからのネックブリーカーで負けてるんだ(95年のCC公式戦)。それと同じ光景が来たから返せたんだ。あれは頭に入れていたからよく覚えてるよ。今度、跳んできたら絶対にやってやろうって。俺も何回も同じ技を食らうほどバカじゃなかったんだね(笑い)。
全日本の頂点に立った気分は…うれしかったけど、大変だったよ。だってまたタイトルマッチをやらないといけない。それがちょっと嫌だったな。向こうはコンディションが絶好調で向かってくるじゃん。俺はそれを受けなきゃいけないって。大変だったよ。
あと、あのベルトのきったねえこと。古いし、みんな汗びっちょりで巻くからネチョネチョしてるんだよ。「俺はこんな汚いベルト欲しがってやってたんか」って思ってあんまり巻きたくなかった。でも、やっぱり名声はすごかったね。
その後、川田(利明)を相手に防衛したけど、小橋(建太)に負けちゃうんだ。小橋に負けるのは初めてじゃなかったかな? 偉くなったな、強くなったなってびっくりしたよ。何よりしぶとかったよ。アイツの執念があったんだろうね。真面目に練習するし、勝負に対して貪欲な面がある。仕事人だよね。
負けたのはショックだった。それは覚えてる。なんでこいつに負けるんだって思ったけどベルトを維持するのは大変だってことを学んだね。これで終わりって感じじゃなくて、また次狙うしかないよなって思ったね。













