【全日本四天王が語る歴史の分岐点 田上明 王道の証明(15)】2000年に「ノア」の旗揚げに参加した俺は03年1月に新日本プロレスの蝶野正洋とタッグマッチ(田上&小橋建太VS蝶野&三沢光晴、日本武道館)で戦った。
新日本の選手と絡むのはほぼ初めてだもんね。まあ、やっぱり、新日本の選手は…なんていうのかな「己」を持っているんだよね。「型」っていうのか、リングで自分自身をどう見せるかをわかっているんだよ。全日本やノアではあんまりお客に見せるっていうことを、ほとんど考えていなかったからさ。
新日本っていうのはお客に向けて、パフォーマンスとかアピールをやるじゃない。全日本とかノアは技でどうやってやるかってところに重きを置いていた。新日本はすごい個性を出すじゃん。俺らの場合は「試合で見せよう、技で見せよう」で表には出さなかった。そういうのは(ジャイアント)馬場さんのやり方だね。向こうはアントニオ猪木さんのスタイル。三銃士はみんな見せ方が上手だった。蝶野はサングラスをしてなかったら、意外にかわいい目をしてるんだよな。
永田(裕志)との試合(6月、日本武道館)も覚えてるよ。負けた試合ばっかりだな。俺はやれと言われれば誰とだってやる。新日本の選手が来ることに嫌だとか思うタイプじゃなかったね。技のやり方が上手な人だなとは思ったね。ナガタロックはけっこう痛いんだよ(笑い)。このころK―1とか総合格闘技とかが世間でははやってたけど興味はなかったな。俺はプロレスと相撲しか知らないし、顔が(殴られるなどして)変形するのも嫌だしね。
04年9月には小橋のGHCヘビー級王者に挑戦するんだけど、また負けた試合だね。そういうのばっかり集めてるんじゃないかって思っちゃうよ。でもタイトル戦になるとそうなっちゃうよね。「田上火山噴火」とか言われていたけど「俺は火山じゃねえ」って言いたかった。まあ俺もある程度はボコボコにする時もある(笑い)。試合は覚えてねえけど、くたびれて最後やられたって感じか。最後のリストクラッチ式バーニング・ハンマーは何がなんだかわからんかったね。
このころ団体は小橋が引っ張ってたけど、あいつもいいレスラーになってたよな。本人も本当に努力してたから報われたんじゃないの。だけど、その気になってたら、病気になっちゃったんだよ(※)。頑張ってたからかわいそうだったね。あれで下降気味なっちゃって、欠場中はいつもやり合っているヤツがいないからさびしいもんだったよ。やっと復帰できた時はうれしかったね。
※小橋は2006年6月に腎臓がんが見つかり長期欠場。闘病を乗り越え、07年12月に復帰を果たした。













