【プロレス蔵出し写真館】今から40年前、1985年(昭和60年)10月14日、全日本プロレスの熊本大会でアジアタッグ選手権が行われた。

 石川敬士&渕正信組が挑戦したのはジャパンプロレスの寺西勇&保永昇男組だ。

 開始10分は一進一退の攻防が続いていたが、渕が寺西に延髄斬りを見舞ってから挑戦者チームのペースとなり、寺西に集中砲火を浴びせる。そのたびに保永が救出に入り、フォールを許さない。寺西は渕のドロップキックを食らった後、一瞬の間が生じたスキを見逃さず逆さ押さえ込みで渕をフォール。王座初防衛に成功した。

 控室では寺西と保永をたたえ、大将の長州力は飛び切りの笑顔で乾杯の音頭を取った(写真)。

 さて、このとき王者チームとして防衛戦に臨んだ保永は実は〝代役〟王者だった。

 この年の7月18日、後楽園大会でアジアタッグ王者チームの石川隆士&佐藤昭雄組に勝利したのは寺西とアニマル浜口のコンビだった。浜口にとって同王座は約8年ぶりの戴冠となり喜びもひとしおだった。

 ところが、10月7日の愛知・江南大会で長州&谷津嘉章と組み、ジャンボ鶴田&天龍源一郎&石川組と対戦した浜口は鶴田の高角度のブレーンバスターで頭から叩きつけられ、リングに大の字になったままピクリとも動かなくなった。レフェリーのタイガー服部はゴングを要請し、10分8秒、KOという珍しい決着となった。

 浜口は後年「(リングに)あおむけになったまま、頭は意識があるのに首から下が一切動かない(無感覚の)状態になった」と〝恐怖体験〟を明かしている。

頸椎を負傷し自宅で電気治療する浜口。左は妻の初枝さん(1985年11月、東京・浅草)
頸椎を負傷し自宅で電気治療する浜口。左は妻の初枝さん(1985年11月、東京・浅草)

 浜口が頸椎を負傷して戦線を離脱。アジアタッグは返上…と思いきや、なんと代役が認められ、寺西が保永を指名して前代未聞、代役の保永と寺西が第41代王者と認定された。保永はキャリア初のチャンピオンとして防衛戦に臨んだのだった。

 最初にプロレス入りを考えたのが全日本だったという保永にとっては、感慨深いものがあったのではないだろうか。

 保永は言葉少なに当時を振り返った。

――アジアタッグは初のベルトだった

保永 ホントですね(笑い)。浜口さんがケガしたりいろいろあってね。

――ジャイアント馬場さんが代役でもいいと了承した

保永 後から聞いた話ですけどね。

――最初は全日本に入りたかった

保永 高校のとき近所の運送会社がリング屋やってて、全日本のリングの解体とか手伝ってた。全日本に入りたくて、後楽園で開幕の初日で忙しい時に行っちゃった。渕さんに「切符やるから見てけよ」って言われて、試合だけ見て帰りました。年は23ぐらいになってたかな。北海道の拓大、農業経済学部を卒業して1年ぐらいしてからだったかな。

――その後は全日ではなく新日本プロレスへ入門した

保永 馬場さんとこ行って落っこったからね。1年間、綾瀬(東京・足立区)の植木屋で働いて夕方、北松戸のボディービルのジムに通った。(新日に)入門のとき藤原(喜明)さんに「ボク、何やってたの?」って聞かれて、「ボディービルやってました」って言ったら「ウソだろ」って笑われた。体重がまだ80キロもなくて、細かったからね。

――全日から新日本に戻ったのは

保永 オレ体ちっちゃいでしょ? 全日より新日の方が使ってくれるかなと思って。馬場さん自体ちっちゃいのあんまり好きじゃないし。新日本に戻って軋轢はあったけどね。残った選手たちは面白くなかったでしょうから。〝出戻りのくせして〟っていう雰囲気を感じたね。何かをされたわけじゃないけどね。そりゃそうだよね、勝手に出て行って勝手に戻ってきたわけだから。

ーー馬場さんからアドバイスはあった

保永 直接はなかったね。おこづかいをもらったことはあったけどね。小学校の体育館で試合をやったとき、控室で(キラー)カーンさん、服部さんが花札のおいちょかぶをやってた。控室の窓の上に天窓があって、そこから馬場さんがのぞいて、参加してた。馬場さんはなぜか勝つんだよな。それでご祝儀をくれたんだよね。服部さんがやってたのはジン(ラミー=GIN RUMMY)だったね。

 和田京平レフェリーは「保永のお兄ちゃんが昔のリング屋さんの社員で、一緒に働いたことがあった。『オレの弟が今度、新日本に入るんだよ』って言ってたから〝なんで全日本じゃないの?〟って思った。馬場さんから評価得たのはヒロ斎藤と保永。2人の前座の試合を見た馬場さんが『本当に新日本(の選手)か? 全日本の方がいいじゃないか』って言ってた。馬場さん欲しかったんじゃないかな。若手育てるにはヒロ斎藤と保永が必要だった」と振り返る。

 保永は馬場が評価していたのは知っていたのだろうか。

「うん。光栄ですね」。そう言って保永は笑顔を見せた(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る