【プロレス蔵出し写真館】東スポのカメラマンを見つけたアントニオ猪木が、満面の笑みで桟橋から手を振った(写真)。

 今から46年前の1979年(昭和54年)11月30日、徳島港でのひとコマ。新日本プロレス一行は前日、愛知・一宮での興行を終えて神戸港から水中翼船に乗り込んだ。

 猪木の前を歩くのは付け人の前田明(後の日明)、猪木の後ろは坂口征二(右端)の付け人・平田淳二(後の淳嗣=スーパー・ストロング・マシン)だ。

 前田と平田は同期。2人は前年78年に入門してともに8月にデビューした。前田は25日の新潟・長岡大会。翌26日の長野・飯山大会が平田だった。 

 さて、徳島で猪木はWWFヘビー級王者のボブ・バックランドに挑戦した。試合途中でリングサイドにタイガー・ジェット・シンが現れ、気を取られた猪木はバックランドのアトミックドロップを食らう。バックランドはすかさずフォールする。カウント3寸前で猪木は跳ねのけたが、バックランドは決まったと勘違い。起き上がって後ろ向きのバックランドに猪木はバックドロップを決めてフォールを奪った。

 猪木はベルトを巻いたが〝王座奪取〟はWWFの記録に載らない不遇だった。

 ところで、2フォールを奪い完全決着で悲願の〝世界最高峰〟NWA世界ヘビー級王座を奪取したのは全日本プロレスのジャイアント馬場だ。74年(昭和49年)12月2日、鹿児島でジャック・ブリスコを下した。ジャンボ鶴田、ザ・デストロイヤーらが担ぎ上げて祝福した。

 日本陣営、全選手が歓喜に浸る中、末端の若手としてこの場にいたのが平田淳二だった。

 平田が最初にプロレス入りしたのが全日プロだったという話は意外に知られた話だろう。改めて本人に話を聞いた。

「小学5年生からの日本プロレス、あの頃は馬場さんのファンです。猪木さんがまだ若い頃。自分は高校を中退して東京へ出て来て、渋谷で働いていた。そのとき、全日本の練習場が恵比寿の駅の真ん前にあった。キックとボクシングのジムです(山田ジム)」と回想。

「プロレスが好きだったから、そこをのぞいてたんですよ。そしたら、誰だかは覚えてないけど、後ろから『なにやってんだ、お前!』って言われて、『あ、あの、プロレスやりたいんです』って思わず言っちゃった。そしたら『明日、来いよ』みたいな感じで言われた。(声をかけてきたのは)選手じゃなかったと思います。ファンだったから選手だったらみんな知ってるから」と笑う。

「翌日、ジャンボ鶴田さんとスパーリングとか2時間くらいやらされて、受け身まで取らされた。3時間くらい練習したかな。(受け身は)柔道をやってたけど、(ファンで)プロレスを見てるから。マットレス使ったり、家でも親父の布団丸めてプロレスごっこをやってたりしたから、全然できちゃったんですよ。ある程度。まぁ体はボロボロになりましたけど」

 続けて平田は「当時、目白にあった合宿所に住んでました。そこから電車乗って恵比寿まで。合宿所にはジャンボさんがいて、大仁田(厚)、渕(正信)、薗田(一治)。マティ鈴木さんもいたかな。巡業も行ったんですよ、九州巡業。馬場さんがジャック・ブリスコを破ってNWAのチャンピオンになった試合も、セコンドに就いてました」と回顧。

悲願のNWA世界王座を奪取した馬場(1974年12月、鹿児島)
悲願のNWA世界王座を奪取した馬場(1974年12月、鹿児島)

 ただし、その後平田はプロレスの道を一旦諦める。

「(辞めたのは)親父が倒れたんですよ。脳梗塞かなんかで。それで一回実家に帰って、しばらくウチにいたら大仁田さんから電話かかってきて『いつまでウチにいるんだ、お前!』って言われて(笑い)。それで帰ったけど、気持ちが落ち込んでるじゃないですか。実は親父が半身不随になってしまったんです」

「それで、何もする気しなくなっちゃって『もうウチに帰っていいですか』ってマティ鈴木さんに相談したんです。ジャンボさんもいたかな。『いや一回そうなったら、もうウチ辞めてくれ』みたいな感じになって、『逃げて行く人間がみんなそう言うんだ』って言われて。それで『もう帰って来るな』と。荷物全部持って実家に帰りました」

 新日プロに入るきっかけは77年10月25日、日本武道館で行われた猪木VSチャック・ウエップナーの異種格闘技戦だった。

 平田は「新日本が盛り上がってきてテレビでもやってましたよね。しばらく住み込みで新聞販売店で仕事しながら見てた。店の店長もプロレスファンで、武道館のチケットを買ってくれて、『見に行こう』って言われて、一緒に行ったんですよ。そのときパンフレットを買ってもらって、(でも)パンフレットってそんな見ないじゃないですか。何か月かして見たら〝新人募集〟みたいなのが書いてあって。もう時期が過ぎちゃってたけど『わぁ、新日本入りてぇな』と思って、山本小鉄さんに手紙書いたら店の方に電話かかってきました」と笑う。

「山本さんからは『大田区体育館でテストするから来い』って言われて行きましたよ」(平田)

 平田はそこで合格して入門を果たした。平田は馬場、猪木の貴重な王者戴冠を見届けていた(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る