【プロレス蔵出し写真館】〝燃える闘魂〟アントニオ猪木(享年79)が昨年10月1日に亡くなってから、早一年が経とうとしている。振り返ってみると、様々な出来事が思い出される。
猪木襲撃事件を目撃したのは、今から38年前の1985年(昭和60年)7月25日、青森のむつ市だった。
その日の試合写真を電送し終え、東スポが発行していたタブロイド紙「ザ・プロレス」のカラー写真を担当した先輩カメラマンと食事をしてホテルへ帰る途中、遠目になにやら怪しい風体の男3人を目視した。明らかに地元の人間には見えない。
目を凝らすとそれは将軍KYワカマツ(若松市政)とストロング・マシン2号、3号のマシン軍団だった。
「確か先には日本人レスラーの宿舎『鍵本ホテル』があったなぁ…」。そう話していると、3人はズンズン急ぎ足で歩いて行く。〝ヤバい〟我々2人はダッシュで追いかけた。
3人はホテルに入ると、ロビーでくつろいでいた猪木を襲撃した。不意を突かれた猪木はその場に倒れた。あわててドン荒川、星野勘太郎らがガードした(写真)。
「コラー、イノキー!」。会場では、がなり立てるワカマツも深夜ということもあってか、控えめな声量だった。
そして、3人はあっという間に引き揚げて行った。猪木はぼう然とその場に座り込んだ。
猪木は「やつらも影が薄くなってきて、焦っているんだろう。好き放題やりやがって。右のワキ腹はズキズキ痛むし、首のほうもちょっとやられたようだ」と怒り心頭だった。
実はこの日の午後、ワカマツとマシン軍団をむつ市の観光地、恐山の三途川で撮影していた。そのときには襲撃することなど、おくびにも出さなかった。
新日本プロレスを席巻したマシン軍団は、この時期、スーパー・ストロング・マシンと2号、3号の抗争がスタートしていた。
これは、この年の4月18日、両国大会でマシンと藤波辰巳(現・辰爾)がシングル対戦し、乱入したワカマツが藤波にパウダー攻撃を見舞ったが、かわされマシンの顔面に誤爆。ワカマツとマシンが仲間割れを起こしたのが発端だった。
5月17日の熊本大会では、あの「お前は平田だろ」事件が勃発。藤波がマシンに「平田だろ? 平田だろ、お前!」とまさかのマイクアピール。マシンを正規軍に引き入れる動きが垣間見えた。
むつ市での襲撃が起こる6日前、19日の札幌大会ではマシンと藤波の再戦(WWFインターヘビー級選手権)が行われ、またもワカマツ軍が乱入してノーコンテスト。このときもマシンは藤波に共闘を呼び掛けられた。
シリーズ最終戦が行われた8月1日の両国大会で、マシンはわずか1分28秒でマシン3号に勝利。その4日後、前代未聞の事件が起こる。8月5日、大阪城ホールで開催されていたジャパンプロレスの自主興行で、長州力が「もう馬場、猪木の時代じゃないぞ! 鶴田、藤波、天龍、俺たちの時代だ!」と宣言。これに呼応するように、マシンが登場。リング上で長州とガッチリ握手をかわした。
その後、マシンはヒロ斎藤、高野俊二(後の拳磁)とともに新日本プロレスの次期シリーズを無断欠場。3人は8月29日に港区白金台「八芳園」で会見を開き、プロダクション「カルガリー・ハリケーンズ」結成会見を行って、新日本を去った。
マシンとワカマツ軍の抗争はわずかな期間で終了。8月23日から開幕した次期シリーズにワカマツが率いたのは大型のマシン軍団だった。2号、3号はこのシリーズで役目を終えた。
さて、ブルーザー・ブロディが参戦していたこのシリーズは、大阪城ホールと両国で猪木とのシングル2連戦が決定していた。シリーズ終了後にはハワイでの対戦も決まっていて、〝地獄の3連戦〟と形容されていた。
〝そういえば初対決では、試合前の控室で猪木がブロディにチェーンで襲われたな…〟そんなことも思い出された。
むつ市の襲撃事件は、ブロディにとって援護射撃になったのは間違いない。猪木がベストな状態でブロディ戦に臨んでいたら…試合結果も変わっていただろうか(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る














