【昭和~平成スター列伝】5月13日は“怪物”“最強”と呼ばれた全日本プロレスの元3冠ヘビー級王者・故ジャンボ鶴田さんの命日に当たる。2000年にフィリピン・マニラの肝臓移植手術中に亡くなってから早くも26年が経過した。

鶴田はマーテルをバックドロップで沈めた
鶴田はマーテルをバックドロップで沈めた

 鶴田は1992年11月にB型肝炎が発覚して第一線から退いたが、89年4月に史上初めて3冠を統一した後は天龍源一郎、スタン・ハンセンらと激闘を展開。“最強”の名をほしいままにした。その鶴田は新日本プロレス90年2月10日と、新日本・全日本・WWF(現WWE)による同年4月13日「日米レスリングサミット」で、東京ドームの大舞台に立っている。

 特に最後となった4月大会でキング・ハクと組み、かつてAWA世界ヘビー級王座を争ったリック・マーテル、カート・ヘニングと戦った一戦は今でも隠れた名勝負として語り継がれている。当時は黄金期とあって場内に入場曲の「J」が流れるや、団体の垣根を越えて5万3742人の大観衆が「ツ・ル・タ、オーッ!」の大コールがドームにこだました。

 92年には全日本に鳴り物入りで入団する秋山準(現DDT)が、専修大レスリング部時代に初めてドーム大会を観戦。「あのコールには鳥肌が立った。鶴田さんの試合を見てプロレスラーになろうと決めた」と後々に語ったのは有名な話だ。3冠という重責から離れた鶴田は実にのびのびと外国人選手とのアメリカンプロレスを展開した。

「谷津の負傷により急きょ鶴田のパートナーに抜てきされたキング・ハク。約7年ぶりの凱旋帰国が実現した。『自分の家に帰ってきたみたいだ。本当にうれしい』とハク。開始早々から“ミスター・パーフェクト”ことヘニングへ全身のバネを使った超ハイアングルのドロップキック。試合はハクがヘニングにソバットを決めてリング外に出した間に、鶴田が強烈なジャンピングニー、そして豪快なバックドロップ一閃。マーテルを沈めた。『あいつら体がないからね。ニューヨーク(WWF)でも上へ行くのは難しいんじゃないの』と鶴田は余裕のひと言だった」(抜粋)

 次の試合では天龍がランディ・サベージと歴史に残る名勝負を展開。3冠を争っていた2人は見事な“競演”を見せた。

 和田京平名誉レフェリーは「天龍さんはピリピリしていたけど名勝負になった。ジャンボはのびのびとアメリカンプロレスを楽しんでいた。やっぱり体が大きくないとダメ。ジャンボにはドームが似合っていたね。しかしジャンボも秋山も超エリート。秋山はジャンピングニーを伝授されたでしょ。中大卒でジャンボの後輩の史上最年少3冠王者の安齊(勇馬)も超エリートでハイニーを得意としている。これが伝統というか継承ってやつなのかね」と感慨深く語った。

 いつの時代も「Jの魂」は継承され生き続けるに違いない。 (敬称略)