【プロレス蔵出し写真館】昨年10月1日に死去したアントニオ猪木の一周忌法要と、「燃える闘魂 アントニオ猪木之像」除幕式が9月12日、神奈川・横浜の曹洞宗大本山・總持寺で執り行われた。
10月6日にはドキュメンタリー映画「アントニオ猪木をさがして」も公開される。
さて、79歳で逝った猪木だが、日本プロレス時代27歳のときに命を落としていたかもしれない奇禍に遭遇していたことは、オールドファンには知られた話だろう。
そのニュースを知ったのは、テレビ中継か雑誌だと思うが、記憶ははっきりしない。ただ、「猪木が毒ヘビに咬まれた? なんで?」。意味がわからなかった。
今から52年前の1970年(昭和45年)12月13日、猪木は翌年の新春シリーズに備えてのトレーニングと、テレビ映画「アントニオ猪木、故郷の秘境を行く」(仮題)の撮影を目的とする里帰りを兼ねてブラジルへ出発した。
事故が起こったのは、21日(現地時間20日)のことだった。
この日、猪木はマットグロッソ州南西部のブラジル、パラグアイ、ボリビアの三か国にまたがる世界最大級の大湿原パンタナールの大森林に入っていた。この地方は、原住民でさえめったに入らない、文字通り秘境(当時)。猪木一行はパンタナール基地の陸軍と空軍の応援を得て、奥地深く入り野生動物の生態を撮影中だった。
そこで猪木は毒蛇「ジャララカ」に襲われた。左足を咬まれ、その場に昏倒。意識不明になった。猛毒で有名なジャララカの毒性は主に出血毒。毒は非常に強く、また毒量も非常に多いため命が助かっても悲惨な後遺症に悩まされることも多いという。
この事故を東スポは2日にわたり1面で報じている。
「猪木重傷 密林で倒る」(12月25日付)
「猪木〝毒ヘビ負傷〟の詳報」(12月26日付)
一時は生命も危ぶまれる重傷だったが、ブラジル空軍のヘリコプターで、急きょサンパウロ市にある世界的な権威「ブタンタン研究所」の医師と血清が運ばれ、応急の血清治療を行って命をとりとめた(※完全血清を豊富に持っている陸軍、空軍のバックアップもあり、咬まれてすぐ血清を投与したという話もある)。
その後、ブラジル空軍機でブタンタン研究所付属病院に運ばれ入院。当然、映画の撮影、トレーニングは中止された。
病院で意識を取り戻した猪木は、「原住民からヘビにくれぐれも気をつけろと言われていたので、皮のスネ当てをつけて十分に注意していたが、不覚だった」と猛省。
「ジャングルでは大アリの3キロも続いている行列に会ったり、ワニや大トカゲ、大アリクイ、ジャガーなどの生態を撮影した。毎日40度近い猛暑なので真っ黒になった。日本のファンに、アントニオ猪木の故郷ブラジルの奥地にはこんなところがあります…といろいろ紹介するのが今回の映画撮影の狙いだったが、事故で中止になったのは残念。今回はあきらめるが、次のチャンスには必ず映画を完成したい」と前を向いた。
猪木の治療に当たった医師は、「普通の人間だったら間違いなく命を落としていただろう。さすがにプロレスラーだ。体に抵抗力があるので、手当てが早かったせいもあるが、驚くほど回復力が早い」と感心した。
経過も良好で、23日(現地時間22日)午後には熱も下がり、翌24日の午後には病院を出て、サンパウロ市内ドンペドロの実兄・相良寿一氏宅に移った。
医学博士・沢井芳男助教授(東大医科学研究所熱帯疫学研究室=当時)は、「ジャララカはブラジルの代表的な毒蛇で、日本の奄美大島にいるハブによく似た種類。長さは150センチから200センチ。体重は5キロ程度。これに咬まれると、乾燥量(毒を乾燥して粉にした量)10ミリグラムで死んでしまう。病状としては、咬まれた部分が出血して腐ってくる。また、精神的ショックも大きい。しかし、猪木選手はクツの上から咬まれたというのだから、致死量ではあるまい。病名は『毒蛇咬傷』ということになる。重症ではなく軽症。3、4日経過して腫れが引いてくるようなら心配はいらない」と語った。
現地の医師が驚くほどスピード回復した猪木は、予定通り30日に帰国。年が明けた1月4日、東京・台東体育館で行われた開幕戦ではダブルメインイベントに出場。グレート小鹿とタッグを組み、ザ・ストンパー&リッキー・ハンター組と対戦し、ハンターに新兵器のアトミックドロップを公開して先制した。
当時は詳細な情報は把握できなかったが、開幕戦でテレビに映る猪木を見て、〝死ななくてよかった〟。素直にそう思った〝毒蛇アクシデント〟があった(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













