【プロレス蔵出し写真館】1日に「心不全」で死去した不世出のプロレスラー〝燃える闘魂〟アントニオ猪木の通夜式と告別式が13、14日に都内で営まれた。
菩提寺の横浜市鶴見区の曹洞宗大本山総持寺の僧侶による読経がささげられ、多くの弟子や関係者が最後の別れを告げた。「総持寺は子供のころ遊び場だった。今でも(1989年当時)ふっと思い出して訪ねることがある」。猪木はかつて、テレビのインタビューに思い出を語っていた。
現役時代の猪木は、思いのほかバラエティーやドキュメンタリー風のテレビ番組に出演していて、自身の人となりをファンに伝えていた。
今から37年前の84年(昭和59年)11月7日、テレビ番組の収録で主演の萩本欽一とからむ猪木の姿があった。この番組は、毎週水曜夜9時から放送され最盛期には平均視聴率30%台を記録していた「欽ちゃんのどこまでやるの!」。
猪木は、萩本家のお茶の間を舞台にしたコントドラマにゲストとして登場。欽ちゃん、わらべの高橋真美から「酒、焼き肉、どんぶりメシの最高はどれぐらい?」などといった、差しさわりのない質問に終始ご機嫌でトークを展開。小堺一機にコブラツイストを決め、ジャイアント馬場のファンだと公言していた関根勤には技をかけさせる大サービス。
収録がオンエアされたのは同月の21日。そして、このオンエアされた放送を、うれしそうに見ていたのは前田日明だった。
21日、ユニバーサル・プロレス(旧UWF)は愛知・西尾大会で興行を行い、前田はメインに出場して藤原喜明とタッグを組んでサイクロン・ニグロ&ピート・ロバーツ組と対戦した。試合は前田はニグロを卍固めで仕留め勝利を飾った。
宿舎に戻った前田はすぐさまテレビをつけ、「欽どこ」にチャンネルを回すと、猪木が映る画面をうれしそうに、笑って見ていた(写真)。時折チャチャを入れながら…。
画面を見る前田の顔はまるで、いちファンのような表情だった。
東スポ本紙とWebで好評だった「前田日明コラム」で、ユニバーサルへの移籍が猪木の指示だったことを、改めて明かした前田だが、この当時は移籍理由は明らかにされていなかった。あとから高田伸彦(後に延彦)を連れ、合流した藤原が「まさに断腸の思い」と会見で発言した意味深なワードも様々な臆測を生んだ。
ところで、人気番組だった「欽どこ」には同年の1月18日に佐山サトルもタイガーマスクとして出演している。前年の83年8月に新日本プロレスを脱退、プロレスを引退していたタイガーマスクが虎のマスクをかぶって登場。「タイガーマスクとしては引退してるので…」と言い途中でマスクを脱ぎ、観覧していたお客と視聴者を驚かせた。
さて、13日の通夜式には前田、佐山が参列していた。振り返ると猪木と弟子たちの多くは、まさに離合集散の繰り返し。新日本プロレス活性化の要因ともなった(敬称略)。














