【プロレス蔵出し写真館】来年の1月4日に東京ドームで行われる新日本プロレス「WRESTLE KINGDOM 17 in 東京ドーム」大会は、今月1日に亡くなった新日本の創設者〝燃える闘魂〟アントニオ猪木の追悼大会として行われることが決まった。同大会のサブタイトルは「闘魂よ、永遠に」。
節目の年には追善試合も企画されるだろうが、今は何よりも一日も早くファンのための「お別れの会」開催が待たれる。
ところで、追善試合といえば今から46年前の1975年(昭和50年)12月11日、日本武道館で日本プロレスの創始者・力道山の「13回忌追善合同大試合」が行われたが、開催前に猪木が不参加を表明して物議を醸した。
この年の10月21日、東京ヒルトン・ホテルで会見した百田家は力道山の門下生である4団体(百田家の預かりだった日本プロレス、国際プロレス、新日本プロレス、全日本プロレス)に出場を依頼し、12月11日に合同慈善大試合を挙行すると発表した。
そして、29日の会見で正式発表されたのは新日本をのぞく3団体の参加。猪木の不参加に「理解に苦しむ。恩師に対する恩を知らない男」と非難ごうごうだった。
猪木は百田家が開催を発表する8日前、〝人間風車〟ビル・ロビンソンとNWF世界ヘビー級王座防衛戦を行うことを発表していて、ファンが望む〝夢の対決〟を流すことは到底、無理な話だった。
東スポは試合が近づいた12月9日、「とにかく一部で風説があるが、まあ3人でお茶でも飲みましょう」。井上博社長が提案し、帝国ホテル千草の間で猪木、百田敬子未亡人と会食の場を設けた。
当時の記事は「ほんとうに申し訳ありません。追善試合に出場できないで、心からおわびします」。猪木は力道山未亡人の百田敬子さんに深々と頭を下げた(写真)。
「連絡の不十分、行き違いでスケジュールが変更できず、参加できなくなり、私自身も大変残念に思っています。この上は、武道館の追善試合が大成功になることを祈っています。わたくしの方も頑張ります。同じ東京で二つの代表的な会場が超満員になれば、プロレス界興隆のためにもなると思います。力道山先生もきっと喜んで下さると確信します」
しばらく雑談が続いたが、「最後に敬子未亡人の『あなたもがんばってください』で散会。」と報じている。
猪木は、頭を下げた写真を使われたことに不満だったようだが、この記事で事が丸く収まった。
さて、午後6時に開始された追善興行は総勢37人が出場し、メインのジャイアント馬場&ザ・デストロイヤーVSジャンボ鶴田&ドリー・ファンク・ジュニア戦が終了したのが午後10時半。延々4時間半の興行となった。
一方、猪木VSロビンソン戦は期待にたがわぬ試合を展開。1本目をロビンソンが逆さ押さえ込みで先取したのが42分53秒。2本目は猪木が16分19秒、卍固めで返して残り時間はわずか48秒。最後は死力を尽くして時間切れ引き分け。この試合内容に館内は大歓声に包まれた。
そして、この試合は後々までファンの記憶に残り、名勝負として語られることとなる。猪木が試合前に話していた「ロビンソン戦がオレの力道山先生への追善…世界一の勝負を見せる」を証明してみせた(敬称略)。














