新日本プロレスに入門して半年後の1999年10月10日、後楽園ホール大会でデビュー戦を迎えることになりました。1か月くらい前に長州(力)さんに「タイツとシューズを作っておけ」と言われて。うれしかった半面、デビュー戦の相手が真壁(刀義)さんだと言われて、道場部屋の隣で寝てる人と戦うというのが不思議な感覚でした。それが日常になっていくんですけどね。

 デビュー戦の前夜、一人で道場に入ってみたんですよ。Tシャツを脱いで、上半身裸で鏡に映る自分を見て「これは明日、プロレス界に衝撃が走るぞ」と思うぐらい仕上がってたんです。でも衝撃は走らなかったですね…。

 おそらく今よりも基礎体力は強いし、若さからのスタミナもあったんですけど、いざ試合が始まると、5分と持たなかったです。ハッと気付いた時には息が上がっていて。人は緊張すると無意識に呼吸を止めるんですよ。ある程度キャリアを重ねると鼻呼吸だったり、攻めている時も呼吸を入れられてるんですけど、デビュー戦はすぐに酸欠状態で、逆エビ固めで敗れてしまいました。

真壁伸也(現・刀義、右)とデビュー戦
真壁伸也(現・刀義、右)とデビュー戦

 これまで自分が同好会でやってきた試合とはまったく別物でしたね。プロレスでメシを食っているかどうかが重要なんだなって。それで生活しているんだと考えたら競技にかける熱量が変わってくるので、そこが一番大きな違いだったのかなと。デビュー戦には岐阜から両親も応援に駆けつけてくれました。夜に電話してデビューを報告したんですけど、やっぱり心配はされるじゃないですか。これからリング上で活躍することで恩返しをしたいなと思いました。

 デビューして3戦目の10月19日福岡大会では井上(亘)さんから初勝利を収めることができました。ヤングライオン時代で一番印象深い試合は11月27日藤沢大会での柴田(勝頼)さんとのシングルマッチですね。当時の第1試合を裁いてくれていたのが保永昇男レフェリーで、いつも「ダメだ!」とか厳しいアドバイスをいただいてたんですけど、その試合は柴田さんとの意地の張り合いがお客さんに届いて、第1試合からかなり盛り上がったんですよ。柴田さんは感情を向けやすい相手でしたね。

 今でこそヤングライオンの戦いが応援してもらえる状況になりましたけど、当時の第1試合はなかなか沸かない状況だったので、試合後は柴田さんも俺も高揚感があって。プロレスの醍醐味というか、こういう感覚があるから続けられるんだなって思った記憶があります。キャリアで初めて「棚橋コール」をもらった試合だったと思いますし、保永さんも「今日お前らよかったよ」って言ってもらいました。「70点だ」って(笑い)。