1995年に入学した立命館大学でプロレス同好会に入り、将来は「プロレスラーになろう」と思うようになってました。入学時のクラス分けの自己紹介で、みんなが弁護士や司法書士に「なりたい」と言っている中で「プロレスラーになります!」と言い放ったので、しばらく誰も話しかけてくれなかったですね。変なやつがいる、と。
当時はトレーニングルームの横に柔道場があって、後にレスリング部になる同好会がそこで練習していたんです。人数が少なくて団体戦に「出られない」ということで、助っ人を頼まれて所属することになりました。大学4年生時にはインカレにも出ましたし、そこでレスリングを学べたのは幸運だったと思います。
同好会の1つ上には芸人の(レイザーラモン)RGさんがいて、カッコよかったですね。サブカルにも詳しくて憧れの先輩でした。一緒に大阪府立体育会館とか、プロレスも見に行きました。プロになってからもデビュー戦を見に来てくれたり、すごく仲良くしていただきました。
RGさんの相方になるHGさんとも学生プロレスで試合をしました。立命館大学とHGさんがいた同志社大学が対抗戦みたいなものをやっていて。日本拳法をやっていたので打撃がめちゃめちゃ強烈でした。当時のリングネームはHGさんが「ギブアップ住谷」、俺は「ターナー・ザ・インサート」でした(笑い)。
当時は同好会からプロになる選手はあまりいなかったので、プロ入り後は色眼鏡で見られていました。でも、体力的に練習生のメニューについていけて、誰よりもいい体をしていたら文句はないでしょと思っていたので。プロレスラーになってからの活躍にフォーカスがいけばいいとやってきたし、その分練習は頑張りましたね。
大学2年生で初めて新日本プロレスの入門テストを受けました。なるなら1年でも早い方がいいと思っていたので、受かったら大学を辞める覚悟で。当時は井上亘さんも一緒に受けていて、メニューは全部できていたので受かるとしたら俺と井上さんかなくらいに思ってたんですけど…この時の入門テストは合格者がゼロだったんです。寮がいっぱいで取れないとか、逆に若手が足りないから多めに取るとか、そういう運は少なからずあるものなんですよね。
落ちたのが悔しくて納得できなかったので、新日本が滋賀に来た時、田山(正雄)レフェリーに「何で落ちたんですか?」と聞きに行って。そうしたら2回目の入門テストを受けられることになったんです。ところがテストの前日に大風邪をひいてしまってヘロヘロで…。脱水症状でぶっ倒れて不合格でしたね。このままでは終われない、もう一回鍛え直そうと思って京都に帰りました。














