新日本プロレスの入門テストに2回落ちた俺は、大学3年生の1997年11月、ようやく3回目のテストで合格にこぎつけました。この年は井上(亘)さんや柴田(勝頼)さんをはじめ、5人の合格者が出ました。やった、やっと受かった。それで大学を辞めようと思っていました。

 ところが試験官だった長州(力)さんから「1年待ってやるから、卒業してから来い」と言われて。やばかったですね。受かって中退するつもりだったから、4年次に取らなきゃいけない単位が58も残ってたんですよ。

 そこからは授業も全部出て、先に入門してる合格者と差をつけられないようにトレーニングもして…。猛勉強と猛練習の日々でした。あの1年をもう一回やれって言われてもできないですね。ただ、ケガがあるかもしれない厳しい世界だから将来のことを考えて大学は出ておけというのは長州さんの優しさだったんだろうなと思いますし、今も感謝してます。

 そして大学を卒業した翌日の99年3月22日、六本木にあった新日本の事務所に「来てください」と書類が来たので向かったんですが、まさかの閉まっているという…。途方に暮れてたんですけど、結局道場に直接向かうことになって入寮し、次の日にまた事務所に行くことになって。そこで初めて坂口(征二)社長に会いました。同期のKENSO(鈴木健三)さんもいて、2人とも体が大きいので「俺はすごいとこに来てしまったな…」と思ったのを覚えています。

 寮では真壁(刀義)さんと柴田さんと同部屋でした。僕はボディービルダー、真壁さんはグラビアアイドル、柴田さんはブルース・リーのポスターを張っていて、壁に個性が出てましたね。僕がボディービル雑誌を買うたびに真壁さんのポスターを外して壁を侵食していたので「男くさい部屋がもっと男くさくなるからやめろ」と怒られてました。

 あと練習生時代から憧れていた武藤敬司さんの付け人に指名されて、うれしかったですね。さらに福田(雅一)さんから長州さんの付け人も引き継いだので、武藤さんと長州さん2人の同時付け人時代があって、これは大変でした。試合会場で長州さんのバスタオルを忘れたことがあって、武藤さんのバスタオルで代用したんですけど、今度は武藤さんの分がなくなって困っていたところを中西(学)さんが貸してくれたという。

武藤敬司(左)と長州力(右)
武藤敬司(左)と長州力(右)

 ただ、お2人ともスターでしたから。一度食事のお誘いがバッティングしてしまったことがあって、武藤さんと先に約束していたので、長州さんにそれを伝えると「おう、タナ。次断ったらもうないからな」と言われて。あの時はさすがに震え上がりましたね…。