【プロレス蔵出し写真館】夏の風物詩ともいえる新日本プロレスのG1クライマックスは、8月16日(両国国技館)の優勝決定戦に向け、し烈な戦いを繰り広げている。
今から25年前の2000年(平成12年)8月11日、G1が開催中の両国国技館でリーグ戦の話題をかっさらったのは、全日本プロレスの渕正信だった。
渕は第5試合終了後、田中秀和リングアナの呼びかけに応じリングに上がった。スーツ姿の渕は堂々たる態度でマイクアピールした。
「30年、全日本プロレスと新日本プロレスの間には常に大きな壁がありました。その壁を今日、ぶち破りに来ました。たった2人しかいない全日本プロレスですが、看板の大きさとプライドは新日本には負けておりません。現場責任者の長州力選手、返答を願いたい」
予想以上に見事なマイクパフォーマンスに、8500人の観衆から「長州コール」が巻き起こり、2人はリング中央でガッチリと握手を交わした。
その直後に蝶野正洋が乱入。「テメー何様だと思ってんだエー! ここはG1だ。テメーが入る隙間はねぇんだ! とっとと出てけ!」。友好ムードをブチ壊した。
渕は蝶野が投げたキャップをかぶりネクタイをゆるめ、いきり立つ長州も交え、リング上は大乱闘寸前だ。蝶野ががなり立てながらリングを下りると、渕は「蝶野、忘れ物だ」とキャップを投げ返し「これが全日本プロレスの心意気だ。蝶野、来るなら来い!」と挑発。「新日本プロレスのファンの皆さま、お騒がせしました」と礼を尽くして退場。役者ぶりを見せつけたのだった。
そうして、9月2日の全日、日本武道館大会で10年ぶりとなる歴史的な新日本VS全日本の対抗戦が開戦した。第1ラウンドは両国で〝やり合った〟T2000の〝黒のカリスマ〟蝶野VS〝全日の大番頭〟渕のシングルマッチだ。
渕はいきなりバックドロップ。フェースロックで蝶野の首をねじり上げる。蝶野はロープエスケープしてそのまま場外に下り、花道を引き揚げようとするアクションで場内は大ブーイングだ。
リングに戻った蝶野はパンチ攻撃。場外戦では渕を鉄柵、鉄柱に叩きつけノド元をわしづかみにするチョーク攻撃。渕も意地を見せ、ケンカキックに来た蝶野を蹴りで迎撃する。バックに回りジャーマンを狙うも、蝶野が急所蹴り。最後は蝶野がケンカキック4連発を浴びせ16分53秒、片エビ固めで渕を押さえ込んだ。蝶野は渕の顔を踏みつけて勝ち名乗りを受けた(写真)。
翌日、東スポの単独インタビューに応じた蝶野は「年齢の割には思った以上に頑張ったんじゃないか。人生で一番の脚光を浴びた舞台で相手が悪かっただけ。世界を見てきたレスラーの力量というものが感じられた。ただそれが30年前の世界だったということ」とバッサリ切り捨てたのだった。
そんな2人が当時を振り返った――。
渕 蝶野は、けっこういい体格してるけど、身長はほとんど変わらないんだよね。いざ試合やってみたら〝こいつはやっぱりしっかりした基本持ってるんだ〟と思った。受け身もうまいし、スタミナもあったしね。トップとして場数も踏んでるし、やってて面白かったよ。
蝶野 もっとアウェー感のある感じでヒール扱いされるのかなと思ったら、新日本と変わらない歓声だった。対抗戦のアウェー感はなかった。
渕 お客さんの声援はオレの方が、判官びいきで多かったよ。こっちは下り坂。40代半ば過ぎてたからネ(※46歳)。身びいきとかそういうのがあったんじゃないか。
蝶野 オレら救済に行ったから。業界全体が〝全日本潰しちゃいけないだろ〟っていう意識が新日本の中にもあったし。
渕 ハッハッハッハ。それでアレか、手加減をした。そういうようなことか(笑い)。試合時間は16分…まぁ結果的には蝶野のキックで負けたんだけども…。
――最後、顔を踏みつけられた
蝶野 多分、一番自分が新日本の中で客を引っ張ってた時期だったと思う。あくまでベビーとヒールの試合っていうのをやっていた。
渕 そういうのが蝶野らしい。こっちはやる方もやられる方も、アメリカで3年間やってたからね。これから盛り上げていくには、よかったんじゃないか。第1弾はオレと蝶野だけど、そっから川田(利明)がのしてきて健介と試合やって、そこで川田がグングン上がっていった。
さて、その後の大一番、10月9日の新日・東京ドーム大会は超満員札止め6万4000人の大観衆を集めた。
対抗戦は3試合。全日最強外国人スティーブ・ウィリアムスが、新日最強外国人スコット・ノートンをバックドロップで粉砕。セミファイナルは蝶野&ミスター・T(後藤達俊)組VS渕&越中詩郎(全日出身で協力を申し出た)組。Tがラリアートで越中をフォールして1勝1敗。
メインはIWGPヘビー級王者で、夏のG1を制していた佐々木健介が全日の看板を背負う川田とノンタイトル戦で激突した。
川田は、ラリアートに来た健介にジャンピングハイキックをヒットさせ、頂上決戦を制した。健介は敗戦に責任を感じベルトを返上。この試合はこの年の「プロレス大賞」ベストバウトを獲得した。
翌01年1・4東京ドーム大会で、IWGPヘビー級王座決定トーナメントが開催されることとなった。
渕は「川田がグングン上がっていって蝶野とか武藤(敬司)が来るとか、そういう感じに持っていこうと思ったら、向こうがなんかトーンダウンした。こっちも手を尽くして、結果的に武藤がウチのリングに上がるようになった(笑い)。いろんな思惑があったよな、あの当時はね」。そう回顧した(敬称略)。【プロレス蔵出し写真館】の記事をもっと見る













